荒川水系河川整備基本方針

第1章 河川の総合的な保全と利用に関する基本方針

(1)流域及び河川の概要

羽越水害
 荒川は、水源から河口に達する距離が短く勾配も急で、特に峻嶺な水源地帯は多雨・多雪地帯であることから、古くから洪水による災害が発生している。
 荒川は名前の由来「荒ぶる川」のとおり、大変な暴れ川で、安政6年7月・明治10年6月・大正4年6月洪水等、水との戦いは古くから行われていた。特に宝暦7年(1757年)の氾濫被害について書かれた「宝暦大洪水略図」には、「大洪水は前代未聞で、4尺(約120cm)以上も洪水が押し寄せ、海のようであった。作物の収穫がほとんどなかった」等、当時の大洪水の状況が鮮明に記録されている。
水害写真
水害写真

 荒川水系の治水事業は、昭和21年から新潟県によりJR羽越線下流から河口までの4.2km区間について基準地点花立の計画高水流量を3,200m3/sとして中小河川改修事業が実施され、昭和34年に完成した。また、昭和38年からは山形県によって舟渡地点における計画高水流量を1,180m3/sと定められ、舟渡より出戸に至る11.1km区間を中小河川改修事業として実施されてきた。しかし、昭和42年8月の前線性豪雨により計画高水流量を遙かに上回る洪水に見舞われ、山形県西南部と新潟県北部での死者が90名にものぼる未曾有の「羽越水害」が発生した。

水害記録写真
神林村 | 荒川町 | 関川村 | 小国町
 この水害を契機として、昭和43年4月に一級河川に指定され、基準地点の花立における基本高水のピーク流量を8,000m3/sとし、このうち1,500m3/sを洪水調節施設により調節し、計画高水流量を6,500m3/sとする計画とした。その後、昭和53年度に洪水調節と水力発電を目的とした大石ダムが完成し、現在に至っている。
 また、「羽越水害」の特徴として、土砂災害の発生により人命被害が生じたことや、土石流や流木により道路、鉄道等の交通網が寸断され、復旧が長期化したことがあげられる。このため、昭和44年からは直轄で砂防事業にも着手している。


目次へ戻る
Back Next
page .......