関屋分水路:町ひとつそっくり大移動
関屋分水路を通す一帯は、新潟市の中心部から西方に約3km、郊外の住宅地として急速に発展していた地域でした。移転の必要がある家屋は、693戸(870世帯)に及びました。
病院、工場、商店、幼稚園、市営住宅、民営アパート、それに個人住宅を含めた大規模な移転となり、ひとつの町がそっくり移動するようものでした。その多くは、近くの関屋競馬場跡地に移り住み、「信濃町」「文京町」という新しい町が生まれたのです。
貴重な用地を提供された市民の協力により、1966(昭和41)年から始まった用地補償は、3年というたいへん短い期間で終えることができました。

【工事前の関屋分水路予定地(昭和42年)】
