過去に起こった常願寺川の災害と事務所の沿革について、ご紹介します。

災害 年月 沿革
大風雨あり、常願寺川出水。 662 白雉13  
立山火山活動し、立山の西部が爆発。 704 慶雲元  
常願寺川が出水し、被害が甚大。 806 大同元  
常願寺川が出水し、沿村流亡。移住者多数。 1410 応永9  
常願寺川が出水し、沿村流亡。移住者多数。 1534 天文4  
常願寺川が出水し、富山城を浸水、人馬の溺死多数。
(佐々成政、人夫を指揮し馬瀬口に石堤を築く。)
1580 天正8  
鍬崎山崩壊し下流大被害。河道西遷。 1685 貞亨2  
常願寺川が出水し、馬瀬口堤防が決壊。 1707 宝永4  
鍬崎山崩壊による堰止、土砂決壊で大災害。 1789 寛政元  
立山地獄谷爆裂。 1839.4.29 天保10  
未明の地震のため大鳶小鳶の両山崩壊し、湯川を堰止め、2回の洪水を発生させる。(安政の大災害) 1858.2.26 安政5  
常願寺川が出水し、下流堤防が4,300間決壊。流失田畑600町歩。 1891 明治24 常願寺川改修工事が始まる(明治・大正時代の砂防)。
デ・レーケ常願寺川改修計画を立案。
  1906 明治39 富山県が砂防に着手する。
豪雨で各支渓に施工した護岸、敷石、植林などの一部が破壊。 1914 大正3  
湯川本川の砂防堰堤群が破壊。 1919 大正8  
施工中の湯川1号砂防堰堤(現在の白岩砂防堰堤の位置)が破壊。 1922 大正11  
  1925 大正14 富山県の要望を受け赤木正雄が視察。
  1926 大正15.6 内務省新潟土木出張所立山砂防事務所設立する。
富山県上新川郡大山村有峰字出し原割立山温泉先。富山県立山砂防工事事務所を借受け事務所全般の業務を開始する。
初代立山砂防事務所長の赤木正雄
  1928 昭和3.10 内務省新潟土木出張所立山砂防事務所が新築落成する。
富山県上新川郡大山村有峰字出し原割立山温泉先。木造二階建一棟前事務所建物は職員宿舎用として引続き借用する。
泥谷の災害。 1929 昭和4  
天候及び災害の影響。 1934 昭和9  
  1941 昭和16.7 工事の都合により事務所の所在地を富山県中新川郡立山村水谷地先に移設する。
  1943 昭和18.11 新潟土木出張所が廃止され、内務省中部土木出張所立山砂防工事事務所となる。
  1948 昭和23.1 総理府建設院中部地方建設局立山砂防事務所となる。
富山市西長江20番地に新設。
    昭和23.7 建設省中部地方建設局立山砂防工事事務所となる。
  1950 昭和25.4 富山県中新川郡立山町ブナ坂外11国有林地内千寿ヶ原に事務所を設置する。
富山市西長江20番地の事務所は連絡事務所となる。
  1951 昭和26.4 事業量の増大に伴い鬼ヶ城出張所水谷出張所を設置する。
  1958 昭和33.6 建設省北陸地方建設局立山砂防工事事務所となる。
  1960 昭和35.11 事業量増大と事務所組織強化に伴い新庁舎建築第一期工事に着手する。
  1962 昭和37.8 水谷出張所新庁舎建築第一期工事に着手する。
    昭和37.9 立山砂防工事事務所の新庁舎落成する。
(木造二階地階鉄筋コンクリート造り)
  1963 昭和38.4 鬼ヶ城出張所の名称を千寿ヶ原出張所に変更する。
    昭和38.9 水谷出張所新庁舎落成する。
(鉄筋コンクリート一部木造二階建)
鳶山崩壊源頭部において大崩壊。 1964 昭和39  
  1967 昭和42.6 工務課所属の調査係は業務の増量拡大に伴い調査課として発足。
集中豪雨は、県内各地に大きな被害。 1969 昭和44  
  1974 昭和49.11 立山砂防工事事務所庁舎増築第一期工事に着手する。
  1977 昭和52.1 立山砂防工事事務所庁舎増築第三期工事が落成する。
(木造二階地階鉄筋コンクリート造り)
  1984 昭和59.4 千寿ヶ原出張所廃止工事課発足。
  1985 昭和60.6 砂防資料館「カルデラ」開館。
  1986 昭和61.11 水谷出張所水谷寮完成。
  1997 平成9.2 立山砂防工事事務所の新庁舎落成する。
(鉄筋コンクリート造り3階+PH)
  1998 平成10.6 立山カルデラ砂防博物館開館。
  1999 平成11.5 軌道運行管理所開所。
    平成11.8 白岩保全対策工事起工式。
  2001 平成13.1 国土交通省に名称変更。
  2003 平成15.4 立山砂防事務所に名称変更。
  2008 平成20.4 調査課廃止。調査・品質確保課発足。
  2009 平成21.4 工事課廃止。保全課発足。
  2013 平成25.5 調査・品質確保課廃止。調査課発足。