概要

昭和39年7月中旬に発生した豪雨により、泥谷、多枝原谷の最上流部の鳶山崩壊源頭部において約290万m3の大崩壊が発生した。
崩壊土砂は多枝原平一帯を埋めつくし立山温泉近くまで及んだ。また崩壊土砂は泥谷、多枝原谷を流下し既設砂防設備に被害を与え、有峰、松尾砂防堰堤まで堆積し、一部は下流へ流出した。

崩壊堆積量
区域 堆積面積(m2 平均厚(m) 崩壊堆積量(m3
泥谷上流 134,700 4.4 594,200
泥谷下流 165,700 6.0 994,200
多枝原谷上流 84,000 5.0 423,000
多枝原谷下流 103,400 5.6 581,600
合計 487,800 5.3 2,593,000
  • 画像

    昭和39年7月大鳶の土石流により
    一面の泥海と化した多枝原谷、泥谷の埋没の状況

  • 画像

    昭和39年災害
    (土石流により巨石の山となり河状が一変した多枝原谷)

気象

本邦上を往復していた前線の影響により、6月下旬より降ったり止んだりの梅雨型状況を示していたが、7月7日低気圧が活発化して前線を刺激し、北日本全般に強雨をもたらした。
この雨は当地では、7月7日早朝より降り始め8日は豪雨となり9日正午にようやく降り止んだが、その後も連日の如く降雨に見舞われて毎日うっとうしい梅雨空であったが、7月14日夜半から15日早朝にかけて強雨があり、又7月17日夜半から18日の午前中迄に台風7号の影響による強雨があって山陰、北陸地方に多大なる被害を与えた。

昭和39年7月の日雨量
観測所名 7日 8日 14日 17日 18日
千寿ヶ原 121.1 163.7 96.3 104.0 49.0
水谷 194.0 236.2 98.2 93.0 119.1

被害状況

被害は主に泥谷、多枝原谷の直轄砂防設備に及んだ。
泥谷の被害は、土石流により泥谷22基砂防堰堤の左右岸袖部が殆どもぎ取られ、側壁護岸と水通部の一部に被害をうけ、その上流に施工されていた築堤護岸工は全て埋没した。
多枝原谷の被害は西谷合流点下流の床固5基が破損するとともに、多枝原谷全体が約10mの土砂が堆積した。

  • 画像

    昭和39年9月災害のため
    欠壊した泥谷堰堤群の状況

  • 画像

    衆議院建設委員の視察
    (昭和39年9月26日撮影)