(昭和9年度常願寺川流域砂防工事工務報告より現代語訳)

昭和8年冬季の降雪は近年まれなほど多く、3月下旬にスキー登山を敢行して調査したところ、施工地の積雪はまだ5m余りあり厳冬時の積雪は推察できないほどである。そのため施工地の多数の建設物その他工事用設備はおびただしく倒壊し、運搬軌道も異常の損害を被っている。動力線や電話線の損害もまた多大で、本年度工事を遂行する上で支障が多いため、5月中旬、残雪を割って入山してその復旧に努め、6月中旬にようやく工事開始となった。
翌7月上旬には北陸地方を豪雨が襲い、未曾有の水害を被った。常願寺川上流の各支川でも土石流の流下が惨状を呈した。11日午後4時30分、多枝原池の大決壊に伴って大土石流が一時に流下して白岩砂防堰堤に殺到し、砂防堰堤の築造高を2m(平常水位の14m上)溢れて流れた。
湯川の泥谷合流点から上流、立山温泉付近までの区間は両岸が狭り、その上流1km区間は広い川幅を持ち、さらに上流には数カ所にわたり農林省施設の砂防堰堤が造られている。豪雨出水のためそれらがすべて倒壊した。はげしく流れる土石流は狭窄部で一時遮断されて遊水状態となり、流速が遅くなって莫大な土石の堆積が起きた。また狭窄部の下流では著しく河床が下がった。立山温泉付近では両岸が洗掘されて決壊がはげしく、左岸に建設された立山砂防事務所建物も一時危険になった。出シ原谷(多枝原谷)は出シ原池の決壊のため土石の流下が莫大で、川底が一様に上った。水谷平(見張り所付近)は安政年間の鳶山崩壊による火山堆積土砂でできているため年々豪雨毎に崩壊していたが、最も安全と予想していた見張り所前面でも今回は大崩壊が発生した。そのため見張り所を始め「セメント」倉庫その他建物の大半が危険になり急遽、後退して移築せざるを得なくなった。
年度内工事日数179日中、降水98日。その総降水量は2572.5mmと創業以来の最高を記録し、最大月雨量920.7mm(7月)、最大日雨量302.3mm(7月10日)、最大時間雨量32mm(10日午後1~2時)。気温は7月6日の31.5度が最高、11月9日-2度が最低であった。

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    常願寺川、立山温泉、立山砂防事務所付近
    両岸決壊(昭和9年7月28日撮影)

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    水谷における作業員(昭和9年)