阿賀野川のむかし話

弥彦明神の投げ石(やひこみょうじんのなげいし)旧新津市(現新潟市)

弥彦明神の投げ石

 むかし、むかしのお話です。
 黒鳥兵衛という悪者がいて、村人をいじめお金をとったり、人を殺したりしていました。弥彦明神はこれをみて「こまったやつらだ。いちど、こらしめてやらなければ。」と思っていました。
 あるとき、黒鳥兵衛の家来の大蔵が、日あたりのよいところで、着ものをぬぎ、シラミをとっていました。
 それを弥彦大明神がみつけて、 「あんな悪者はゆるせない。今はゆだんしているようだから、こらしめてやろう。」 といって、おやしろの近くにあった大石をもちあげて、大蔵めがけて「えい、やっ」と投げつけました。  大石はびゅーんと大蔵の方へとんでいきました。大蔵は「こりゃ、大へんだ。」とにげましたが、間にあわず、大石は大蔵のかかとにあたり、そのまま半分くらい土の中にうまりました。大蔵はいたい足をひきづりながら近くの温泉へいって治りょうをしましたが、なおらないで死んでしまいました。
 このさわぎがあってから、しばらくして七日町の人たちは、この石を「弥彦明神の投げ石」と呼び、町へ運びました。すると、でんせん病が町中にひろがりました。人びとは、「これは大蔵のたたりだ。」とおそれ、また、石をもとのところへかえしました。  その後、阿賀野川の大水のとき土手の上にあったほこらがくずれ、そこからかんおけが出て来ました。おそるおそるあけてみると、大きながいこつが入っていました。人びとは「この骨はきっとあの大蔵の骨だろう。」とうわさしたということです。