立山砂防のトロッコ(立山砂防工事専用軌道)

立山砂防のトロッコは、砂防工事の人員と物資を最前線の工事現場である立山カルデラに輸送する最適かつ先端的な方法として、大正15年に発案・計画されたもので、難工事の末、千寿ヶ原から白岩までの間、インクラインをはさんで昭和6年に開通しました。
以来、急峻・急傾斜の悪条件の中、さらに、落石・土石流・雪崩等の被害に遭いながらも先人達のたゆまぬ努力により維持され、砂防事業に関わる人員・物資の輸送の大動脈として今日に至っています。
このように大規模な工事用の施設が長期間保たれているシステムは全国的にもなく、また、連続18段ものスイッチバックは世界でも類をみないもので、立山砂防のトロッコの大きな特徴のひとつとなっています。
軌道を用いるトロッコは、重量物を大量かつ安全確実に輸送できる点で自動車輸送に優れる利点を持っており、人員と資材の輸送のため、また、工事期間中を立山カルデラ内で暮らす人々の生活物資輸送路として、立山の砂防にとって不可欠なものとなって います。

資材運搬方法の変遷

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立山参詣道にて荷物を担ぎ上げたボッカ
〈明治39年~〉

富山県の砂防工事が始まった当時、明治から大正にかけては資材等の運搬はもっぱら人力に頼っていました。いわゆる”ボッカ”と言われています。ボッカは明治39年7月富山県の施工開始時に拡幅された立山新道(旧立山参詣道)の、急な山道を千寿ヶ原から立山温泉まで日帰りしていました。ボッカは60㎏のセメント樽の上に他の荷物も載せ、20~30人の隊列を組み、朝の3時頃に千寿ヶ原を出発していました。
その後、馬車、インクライン、索道、トロッコ列車と様々な方法が用いられてきました。工事専用道路が開通している現在でも、トロッコ列車は砂防工事の輸送動脈として大きな役割を果たしています。

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    大正時代の最も強力な輸送手段であった馬車
    (明治45年~大正15年〉

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    樺平~水谷間を結んでいたインクライン
    (急傾斜地運搬用施設)
    〈昭和5年~19年〉

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    戦後の一時期使われていた索道
    (昭和26年~39年〉

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    白岩砂防堰堤左岸のインクライン
    (急傾斜地運搬用施設)
    〈昭和49年~〉

トロッコの歴史

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砂防工事軌道初代の機関車であった
アメリカ製4t機関車〈昭和2年〉

立山砂防工事専用軌道は、大正15年に着手し、昭和4年に千寿ヶ原から樺平までの11.7㎞が開通しました。戦後、幾多の変遷を経て昭和40年には、樺平の連続18段スイッチバックを含め、水谷平までの延長18㎞が完成しました。
また、スイッチバックのポイント(転轍機)切り替えは、軌道敷設当初は人力でしたが安全と省力化を図るため昭和55年から自動化を進め、昭和61年に全面自動化となっています。しかし、安全面から運転助手による点検をしながらの運行 は変更していません。
軌道を運行するトロッコ列車(機関車)も時代の流れとともにその型式を変え現在に至っています。過酷な条件の中、現在も砂防工事に活躍しているトロッコ列車は、立山砂防のシンボルの一つです。

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    1両だけ保存されている
    4tディーゼル機関車〈昭和38年~55年〉

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    現在の主力機である
    5tディーゼル機関車〈昭和40年~現在〉

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    現在使用されている
    1.5tガソリンモーターカー

  •   ディーゼル機関車 モーターカー
    形式 5tディーゼル 1.5tガソリン
    全長 3,540㎜ 3,000㎜
    全幅 1,400㎜ 1,400㎜
    全高 2,100㎜ 2,010㎜
    自重 5,000㎏ 1,700㎏
    軌間 610㎜ 610mm
    燃料 軽油 ガソリン
    定格出力 108ps/2,200rpm 40.5ps/2,400rpm
    最大牽引力 6,000㎏ 連続 400㎏
    最高速度 24㎞/h 30㎞/h
    乗車人員 2名 8名

工事専用軌道の施設及び沿線

概要
運行区間
…千寿ヶ原~水谷
延長
…約18㎞
軌道連絡所
…6カ所
橋梁
…20カ所
平均勾配
…1/28
レール
…15㎏/m
最高速度
…18㎞/h(上り)・15㎞/h(下り)
所要時間
…1時間45分
標高差
…640m
トンネル
…12カ所
スイッチバック
…38カ所
最急勾配
…1/20
軌間
…610mm

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