建設に至るまで
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左岸の本宮付近の状況(昭和8年頃)

安政地震以来、常願寺川中流部における河床の上昇は著しく、災害が後を絶ちませんでした。このため、これに対する最も有効な手段として、本宮における砂防堰堤の一日も早い建設を、富山県は国に望んでいました。

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本宮砂防堰堤の建設工事

しかし県は国の着工を待ちきれず、内務省の改修基本計画に基づき、緊急事業として昭和10年(1935)に県単独事業の55万円を計上、堰堤の施行を内務省新潟土木出張所に委託しました。

日本一の貯砂量をほこる砂防堰堤
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上空から見た本宮砂防堰堤付近

本宮砂防堰堤は、昭和10年4月に着工され、わずか2年後の昭和12年3月に完成しました。高さ22m、長さ107.4mで500万m3という日本一の貯砂量を持ちます。

現在につながる砂防計画

立山砂防工事事務所6代目所長の鷲尾蟄龍は、この本宮砂防堰堤における貯砂の状況を調べ、荒廃河川における貯砂ダムについて、その働きや大きさの決め方、貯砂勾配や河川勾配について数量的な裏づけによる新しい考え方を示しました。ここに現在につながる砂防計画が誕生したのです。

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    昭和44年の洪水

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    現在の本宮砂防堰堤(平成18年)