いいでの伝説

『長者原の大蛇の話』(小国町)

 今は、もうずうっと昔のお話です。
 <三角山>、別名<雨ごい山>のふもとにある<長者原>は、今でこそ人が住み、米の実のなる田んぼがたくさんありますが、その昔は、大きな沼だったのだそうです。
 その沼は限りなく深く、青黒くよどんだ水の中からは、時々<白い角を持つ大蛇>が頭をもたげ、里人からは沼の主と恐れられていました。そのほとりには、葦草が茂り、苔のむした大岩がごろごろ横たわりまことに気味の悪いことはこの上なく、誰一人として足を踏み入れたことのない所でありました。
 里人たちが、<白い角を持つ大蛇>の出現を最も恐れるのは秋の取り入れの時でした。せっかく苦労して実らせた稲田の上に、ごろりと横になって昼寝をしたり、また、昼寝から目を覚ましては人家に頭を突っ込んで家ごと持ち上げたりして遊び、こんどは遊びつかれて腹をすかすと、手あたり次第に赤ん坊や子どもを飲み込んでしまい、とにかく里人たちはおちおち仕事をすることができませんでした。
 さてある時、どこから来たかはわかりませんが、<小玉川>に行くという旅人が一人、道に迷ってこの沼のほとりを歩いていました。すると、この沼の主、<白い角を持つ大蛇>が、十重二十重にとぐろを巻いて昼寝しているのにぶつかりました。
 すっかり驚いて逃げようとする旅人を、ちょうど目を覚ました大蛇が、昼寝後の腹ごしらえとばかり、猛然と襲いかかってきました。肝をつぶして腰を抜かした旅人は、もう駄目だと思い、日頃信じている<飯豊権現様>にせめてものお祈りをと、手を合わせて目を閉じました。すると不思議なことに、大蛇は襲いかかるのをぴたりと止めて、「おれは、生まれながらにして煙草のヤニが嫌いなのだ。おまえを助けてやるからこのことは誰にも話すなよ。もし話せばおまえの命はないぞ」と言い、そのまま沼の中へごぼごぼと入って行ってしまったということです。
 あぶない身を逃れることができたのも、日頃信仰している<権現様>のおかげと、後に一週間山にこもり、社の土台を直してお礼としたそうです。
 さて旅人は道々考えて、「こんな恐ろしい大蛇が住んでいる限り、世の中の人々は幸せに暮せない。」と思い、今大蛇に聞いた一番嫌いな煙草のヤニのことを、小玉川の村の衆に語って聞かせました。
 小玉川にはそのずっと昔から、腕ききの猟師が13人も住んでいて、「何とかして大蛇を仕止めたい。しかし、ただ弓を射て、まともに立ち向かったのでは敗けてしまう。何かいい方法はないものか。」と、手ぐすねひいていたのでした。 旅人からその話を聞いて、しめたと思い、「よし、ひとつ、おれたちがその大蛇を退治してやろう。」ということに、さっそく決まりました。
 そこで十三人の猟師達は、煙草のヤニをたくさん背負い、勇んで村を出発したのでした。沼のほとりに着き焚き火ををして待つこと一昼夜、沼の水面は相も変わらず青黒くよどんでいます。夜などには、焚き火の炎が赤黒く映り、沼の底から今にもざわざわと表れて来そうな、気味の悪い様子でした。
 そうして七日七晩、交代で寝ずの番をし、今か今かと大蛇の現われるのを待ち続けておりました。
 ついに七日目の晩、突如としてがばがばと水面を割ってしぶきを上げ、白い角をふりたてた大蛇の鎌首が、がっきと宙に持ち上げられました。すわこそとばかり、十三人の猟師は煙草のヤニのべっとりついた矢をつがえ、きりきりと弓を引きしぼり、一斉にひゅうと射離しました。 さすが<白い角を持つ大蛇>でも、十三本の、しかも一番嫌いな煙草のヤニのついた矢を射こまれたのでは、たまったものではありません。雨を呼び風を招き、たちまちにして大嵐となり、天地のひっくり返るほどの雷鳴がとどろき渡り、この時ばかりは、小玉川に待つ猟師の家族達が、それはそれは心配したそうです。
 やがてそれも静まって朝となり、村人達は大勢つれだって、さっそく沼のほとりにかけつけてきました。猟師ともどもよく見ると<三角山>を七巻きまいて、さしもの大蛇もぐったりと死んでいたということです。
 後にその骨を小玉川の近くの山に埋めて、毎年一回大蛇の霊をなぐさめるお祭りをするようになりました。また後の世になって、その山からは良質の石膏が掘り出されるようになり、一時期は、<飯豊鉱山>として発展したこともありました。つまり、大蛇の骨が石膏に変わったのだといわれています。
 なお旅人は、ずっと後になってから旅の途中で重い病にかかり、ついに亡くなってしまったということです。  大きな沼も、主である<白い角を持つ大蛇>がいなくなってからは、だんだんと水も浅くなり、埋まってしまい、稲もよく実り、作物もよくとれる<長者の原>となりました。今では、飯豊登山口のお休み所などもあり、ずいぶんと裕福な部落として繁盛しております。

 
おわり
閉じる