立山で内務省の直轄工事がはじまったころの事務所は立山温泉に設けられ、水谷平には見張所がつくられました。白岩砂防堰堤の本工事が終了した後の昭和16年(1941)、水谷平に事務所が移りました。この河岸段丘水谷平の内、100m程は鳶泥が堆積したもので、上に厚さ5m前後の段丘礫層があります。侵食崩壊も激しく、短い年月の間に水谷平の面積は次第に小さくなっていきました。
現在でも水谷平には砂防事業の前線基地である水谷出張所や工事作業員用の宿舎がありますが、昭和61年に山腹工に着手したおかげで、平の侵食は抑えてられています。

工事前の水谷山腹工

昭和34年(1959)と昭和39年(1964)などの大雨で、大きく土砂がくずれ落ち、水谷平は狭くなってしまいました。

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    昭和61年頃の水谷平

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    斜面崩壊を繰り返していた水谷平

工事中の水谷山腹工
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    平成8年頃の水谷平

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    危険な急斜面での工事の様子

急で長い斜面は丈夫なネットをかけてから、植物の種をまぜた土をぬります。
斜面の向かって右側のほうは、山腹工を行ってからくずれがおさまり、低木も育っています。左側の黒っぽいところも春になると植物の芽が出てきます。

工事後の水谷山腹工

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緑に復元した水谷平の斜面(平成18年)