大正15年(1926)の直轄砂防事業着手以降、大きな洪水はありましたが、昭和44年(1969)以降、富山平野には大きな被害は発生していません。
富山平野の安全性が向上したことで、富山平野の人口も増加し、企業誘致なども進められているほか、外国人をはじめとする観光客も増加する傾向にあり、地域の重要性はますます高まっています。しかし、近年の地球温暖化に伴う豪雨や異常気象に対応するため、今なお大量の崩壊土砂が堆積する立山カルデラをはじめとする常願寺川の砂防事業を計画的に進めていきます。
立山カルデラ内に残る大量の土砂(鳶泥)
安政5年(1858)の地震で崩れ落ちた鳶山の土砂を鳶泥と呼びます。その総量は約4.1億m3と推定され、いまなお約2億m3が立山カルデラ内に残っています。これが一気に富山平野に流れ出すと、平野全体を約2mの土砂がおおう計算となります。
北陸地方の拠点として発展する富山平野
富山平野は古くから「米どころ」「軽金属工業・製薬業に代表される工業地域」として発展し、現在は、平成27年(2015)3月の北陸新幹線およびあいの風とやま鉄道の開業にともない、県内の地域交通ネットワークを整備するとともに北陸自動車道、国道8号、国道41号など重要交通網が産業基盤を支えています。
常願寺川の氾濫域に位置する富山市は、平成17年(2005)4月に7市町村が合併し、平成29年(2017)にはおよそ41.7万人が暮らしています。
また、北陸新幹線の開業にともない富山県内全体の観光入れ込み客数が大きく押し上げられ、近年の外国人観光客の増加と相まって、今後ますます観光客数が増加していくと考えられます。