常西用水(右側)
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農業用水としてつくられましたが、現在では富山市の人口の95%がこの水を水道水として利用しています。

明治時代の常願寺川にはかんがい(田畑に水をやること)のための水の取り入れ口が、たくさんつけられていました。政府がまねいたオランダ人技師デ・レイケは、取り入れ口が多すぎるため、堤防に穴があいているのと同じことになり、水害が起きやすくなるのだと考えました。そこで、水の取り入れ口を1ヶ所にまとめる合口を計画しました。

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ヨハニス・デ・レイケ
(1842~1913)

明治24年(1891)に富山県にまねかれ、常願寺川の治水工事を指導した。デ・レイケは大雨で川の水が増えても、それがすぐに海に流れていくように、河口近くでまがっていた常願寺川の流れをまっすぐにする工事を行いました。また下流の川幅を広げて、土砂をためる場所をつくったり、常西、常東の合口用水の計画もたてました。