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デ・レイケの計画にしたがって、かんがい用水の取り入れ口 は川の上流の1ヶ所だけにし、そこから川の両側に用水路をつくって、田畑に入れる水はその用水路から取ることになりました。こうして明治25年(1892)に、まず川の西側の常西用水が完成し、昭和31年(1956)には東側の常東用水も完成しました。