日本百名山の一つである妙高山の裾野に架かる旧妙高大橋は、新潟県南西部の長野県境に近い妙高市に位置しています。
この橋は、大田切川の切り立った崖を一挙に跨ぐ全長三百メートルを誇る道路橋として、一九七二年(昭和四七年)に建設されました。当時の難所であった国道一八号の小曲線や急勾配などの課題を解消するために架けられ、北陸地方の産業・経済の発展に大きく貢献しました。
しかし、建設から五十年近くが経過するなかで劣化や損傷が顕著となり、現在の妙高大橋への架け替えが行われました。
旧橋は、当時の高度な建設技術を象徴する貴重な構造物ですが、新橋の開通によりその役目を終え、二〇二五年(令和七年)に上部工が撤去されました。
長年にわたり地域を支え、人々と共に歩んだ旧妙高大橋。
その歴史に敬意を表し、この記録を未来へと伝えていきます。
〜谷を越えて結ばれた道〜
江戸時代初期、徳川幕府は東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道の五街道を中心に、全国の交通網を整備しました。五街道に次ぐ街道は「脇街道」と呼ばれ、その一つが北国街道です。
1601年(慶長6年)、佐渡相川の金銀山が発見されると、徳川家康は佐渡を直轄地とし、奉行所を設置して本格的な開発に乗り出しました。佐渡産の金銀は幕府の財政を支える重要な資源となり、北国街道はその輸送や参勤交代の要路として整備されました。
この街道は、中山道の追分宿(現・長野県北佐久郡軽井沢町)から分岐し、長野県を経て関川宿(現・新潟県妙高市)、高田城下(現・新潟県上越市)を通り、出雲崎宿(現・新潟県三島郡出雲崎町)に至ります。さらには、佐渡の小木を経て、相川へと続きました。