一面泥の海となった当時のようす
1917(大正6)年10月2日未明、曽川水門で亀田郷水害予防組合が補修工事を実施中の場所から破堤が始まりました。破堤箇所は、長さ約100m、深さ約7mに及び、亀田郷内はたちまち泥海と化しました