昔々、そのまた昔のお話です。
安曇平(あずみだいら)は、高い 山から落ちる水がたくさん集まって、まるで海のような、大きな大きな湖でした。
北は佐野坂(さのさか)から、南は塩尻(しおじり)まで、十何里〈※1里=約3.9km〉もまんまんと水をたたえ、
そこには犀竜(さいりゅう)という主の女神様が、水の底深くに住んでいました。
また、はるか高井(たかい)のむこうの高梨(たかなし)の池には、
白竜王(はくりゅうおう)という、同じように竜の姿をして、口に立派なひげをはやした神様が住んでいました。
この二人の神様が雲を呼んで行ったり来たりしているうちに、いつしか一人の男の子をもうけました。
男の子は、きれいな泉のほとりで生まれたので、泉の小太郎(こたろう)と名付けられ、
ぜひ人間の子として育てたいという白竜王の願いで、
放光寺山(ほうこうじさん)に住む正直者のおじいさんとおばあさんにあずけられました。
しかし、母親の犀竜は、わが子との別れがつらくて、つら くて、夜もおちおちねむることができません。
湖のほとりにお菓子をそおっとおいてきたり、水の中から聞き耳を立てたり、毎日、小太郎のことばかり考えて過ごしていました。
月日は流れ、正直者のおじいさん、おばあさんにあずけられた竜神の子「小太郎(こたろう)」は、
すくすくと成長し、ひましに立派になっていきました。
母親の犀竜(さいりゅう)は、そんな小太郎と幸せそうなおじいさん、おばあさんの姿を遠くのほうからちらりと見るたびに
「ああ、この体ではあの子と会うこともできない」
と悲しみ、人間でない自分の姿をうらめしく思うあまり、おじいさんとおばあさんが憎らしくなってきて、
あの二人さえいなければ…と考えるようになってしまいました。
おじいさんとおばあさんは、昔から湖の魚をとって、ひっそりと暮らしを立てていました。
ところが、このごろ一匹の魚も網にかからなくなってしまいました。
「おかしなことだなぁ」
と、今度は場所をかえてみましたが、やはり小さな魚一匹かかりません。
しかたがないので、おじいさんとおばあさんは、木の実や草の根っこを掘って食べることにしましたが、
小太郎には「たくさん食べなさい」とむりやり食べさせて、二人は水ばかり飲んでいました。
そのせいで、春を待たずにおばあさんが死んでしまい、おじいさんも骨と皮ばかりになって、とうとう寝込んでしまいました。
そしておじいさんは、 小太郎の手をしっかりとにぎり
「小太郎や、実はお前の生みの親は、湖の主の犀竜様と白竜様なんだよ。
後は二人を頼って、世のため人のためになることをしなさい」
と告げて、息をひきとりました。
小太郎は、何日も何日も泣き続け、こんなひどいことをする湖の主が、自分の母であるわけがないと、犀竜をうらみました。
一人になった小太郎を犀竜が迎えに来ました。
「さぁ、早く、湖の家に帰ってきておくれ」
しかし小太郎は
「私の親は、あのおじいさんとおばあさんだけです。湖の底になんて行くものか」
と言いました。そして、おじいさん、おばあさんがどんなにやさしく、どんなに心のきれいな人だったかを話しました。
自分を育ててくれた大切なおじいさんとおばあさんをなくしてしまった小太郎(こたろう)。
その悲しみを知った犀竜(さいりゅう)は、自分勝手な考えで、ひどいことをしてしまった私をゆるしておくれとわびると、
「お前はやっぱり人間の子。おじいさんの言いつけどおり世のため、人のために生きておくれ。わたしも力になります」
と、小太郎を自分の背に乗せて、天高く舞い上がりました。
そして、湖をつっきり、屏風のような山清路(さんせいじ)の巨岩をぶちやぶり、
白竜王(はくりゅうおう)と一緒に次々と山をくずし、越後(えちご)のむこうまで川道を作りました。
湖の水は、海にむかってながれこみ、ついに底があらわれ、ここに広い安曇平(あずみだいら)が生まれました。
湖がなくなり、すむ場所がなくなった犀竜(さいりゅう)と白竜(はくりゅう)は、
残った力をみんな小太郎(こたろう)にさずけ、
「わたしたちはいつまでもお前とこの土地の人々を守っていますよ」
と言い残し、松本平(まつもとだいら)をひとめで見わたせる仏崎(ほとけざき)の岩穴に姿を消してしまいました。
山をもくずす力をもらった小太郎(こたろう)は、
有明山(ありあけやま)のふもとに家をつくり、湖の底を平らにならして、田んぼをつくりました。
それ以来、安曇野(あずみの)の里ではたくさんのお米がとれるようになり、
村人は犀竜と小太郎(こたろう)のおかげで豊かな土地になったことを喜び、
小太郎(こたろう)もいつまでも幸せにくらしました。
おしまい