砂防・地すべり対策事業

滝坂地すべり:概要

日本最大級の「滝坂地すべり」

滝坂地すべりは、福島県西部の会津地域の一番西、高速磐越自動車道の新潟県境にある西会津町豊洲の阿賀川・笹川合流点の右岸に位置しています。

地すべりの範囲は、南北約2.1km、東西約1.3km、面積約150ha(東京ドームの面積の32倍)、最も深い地すべり面の深さは約140m、移動土砂量は約4,800万m3(東京ドームで約39杯分)と推定され、わが国でも最大級の地すべりです。

滝坂地すべり地内は断層等によってずれたり乱されたりした地質構造により、地すべりが発生しやすくなっています。
地すべり直下流部の阿賀川には「銚子の口」と呼ばれる川幅が特にせまくなった部分があり、雪どけ時期や集中豪雨時期に河川水が集中し、著しく河川水位が上昇して地すべりが活発化しています。
地すべり活動が始まったのは平安・鎌倉以前と推定されていますが、過去には阿賀川をせき止めた記録も残されていて非常に警戒が必要な地すべりです。

滝坂地すべり全景写真

滝坂地すべり:メカニズム

南北のブロックからなる「滝坂地すべり」

滝坂地すべりは、大きく南北のブロックに分かれ、北部ブロックは3地区に分割し、南部ブロックは6地区に分割しています。
「北部ブロック」大石西山・湯出野沢・松坂
「南部ブロック」常磐・沼田・袖の沢・引牧・下沢の目・大石出口

滝沢地すべりでは、花崗岩※を基盤として、その上層に凝灰岩※を中心に砂岩※・泥岩※が 分布しており、さらに上位には堆積物が分布しています。
北部ブロックの大石西山地区の花崗岩は風化が進んでいます。
併せて、湯出野沢地区と大石西山地区の境界には100mの変位を持つ発達した断層があります。

滝沢地すべりの移動には2つの移動傾向があります。
南部ブロックの移動に北部ブロックが連動して移動する。
北部ブロックの押し出しにより南部ブロックが移動する。

用語解説

  • 【花崗岩】(かこうがん)とは:
    地下の深層部の高温下で形成された岩石。石英・長石といった鉱物を主成分とする大陸地殻の代表的岩石で、色は白っぽい。
    花崗岩は緻密で硬く、美しいことから、古くから石材として、鳥居や城の石垣、石橋などに用いられてきた。御影石とも呼ばれている。
  • 【凝灰岩】(ぎょうかいがん)とは:
    形成された岩石が変質し緑色となる。
    日本海側の油田地帯に分布している。質はもろいが加工しやすく、石材として用いられてきた。グリーンタフとも呼ばれている。
  • 【砂岩】(さがん)とは:
    岩片や鉱物粒子などの砂が固まってできた岩石。
  • 【泥岩】(でいがん)とは:
    泥が固まって硬くなったもの。
平面図(H9~H16の7年間移動量をベクトル表示)
滝坂地すべり主測線A~C断面図

滝坂地すべり:過去の被害

活発な地すべりにより人家の移転も

近年では、明治21年(1888) 頃から活動が活発となり、明治38年(1905)と昭和24年(1949)には人家が移転させられるほどの動きを見せ、その後も道路や田畑に被害が出ました。
最近では、平成6年(1994)に地すべり活動が活発になり道路の段差や亀裂が発生しています。
なお、滝坂地区では、これまでの地すべりによって多い人で3回の家屋移転をしました。
作業用の車などない時代であったため滝坂および近くの集落の人たちが協力して移転を繰り返してきました。

南部ブロックでは、昭和37年(1962)から昭和60年(1985)にかけて全体的に阿賀川に向かって西南西の方向に年平均1m移動しました。主な地すべり活動の中心の「袖の沢地区」、「下沢の目地区」は陥没帯(地下にある空洞が崩壊を繰り返す地帯)となっています。

北部ブロックは、昭和50年(1975)から昭和60年(1985)にかけて年平均60cm移動しました。
地すべり対策事業の実施により全体的な地すべり移動は緩やかになり、平成7年(1995)から平成16年(2004)の間は年平均1~2 cm以下(GPS測量)の移動量です。
なお、現在も地すべり活動が継続しているので引き続き対策を行っています。

災害履歴年表
(1) 平安・鎌倉時代 松坂地区で地すべり活動有り(推定)
(2) 明治21年 松坂地区南部に地すべり発生、耕地が荒廃
(3) 明治38年 常盤地区一帯がすべり、人家11戸が移転
(4) 昭和20年~24年 沼田地区上沼付近が活動。
上沼が徐々に大きくなる
(5) 昭和24年2月27日 松坂地区一帯がすべり、田畑5.8haが荒廃、人家14戸が移転
(6) 昭和33年 引牧地区住宅に地割れ発生、人家11戸移転
(7) 昭和35年5月1日 滝坂地区のほぼ全域に地すべり発生、
各所に深さ30m程度の
亀裂を多数生じ笹川河道は押し出し土砂で閉塞
  昭和45年~49年 昭和44年8月集中豪雨で活動が活発化、
阿賀川河岸部の隆起が顕著
(8) 平成6年3月 3月降雨に伴う融雪で袖の沢、沼田地区を中心に地すべり発生。
阿賀川に土砂を押し出し、町道に段差や亀裂を生じる

滝坂地すべり:対策

平成8年度から国の直轄事業がスタート

滝坂地すべりの対策事業は昭和33年(1958)から福島県の事業として集水井工・水路工・横ボーリング工等の対策に着手し、堰沢・松坂・湯出野沢地区の順位で実施されてきました。
その後、雪どけや降雨により滝坂地すべりによる阿賀川への影響が深刻化し、平成6年度(1994)から袖の沢地区の排水トンネル工と沼田地区の集水井工が施工されました。

滝坂地すべりの活動は、南部ブロックだけにとどまらず、北部ブロックの変動にも影響しています。
これにより地すべり全体を見た大規模な対策が必要であり、地すべり土砂が大量に流出して阿賀川をふさぐとその後の洪水被害が下流の新潟県にも及びます。
こうした状況から平成8年度から国の直轄事業として対策に着手しました。

直轄事業の当初は移動量の大きい南部ブロックの対策を中心に実施しました。
現在は、北部ブロックの北部排水トンネル工に着手するとともに、松坂地区の対策を並行して実施しています。

地すべり対策工計画図 平成18年3月現在

対策の施工経緯

昭和33年~昭和46年
集水井工、水路工、横ボーリング工(松坂、堰沢、常磐、沼田地区)
昭和47年~昭和59年
集水井工(常磐、下沢の目地区)
昭和60年~昭和62年
松坂連続集水井工、水路工、横ボーリング工(松坂地区施設災害)
昭和61年~昭和63年
湯出野沢連続集水井工
平成2年(~7年)
笹川排水トンネル工
平成2年~3年
水路工(湯出野沢地区)
平成6年~平成8年
袖の沢排水トンネル工
平成9年~平成16年
下沢の目連続集水井工
大石出口連続集水井工
平成17年~
北部排水トンネル工
地すべり対策施工事例 平成18年3月現在

滝坂地すべり:対策の効果

地下水の大幅な低下を確認

滝坂地すべりへの対策の効果は、次のようになっています。
まず、下沢の目地区で施工した集水井付近の地下水の観測では、地下水位が約12m低下しました。
さらに、袖の沢排水トンネルでは約20mもの地下水位の低下が観測され、地すべりの移動量にも効果が出ています。

これまで南部ブロックを重点的に対策してきたことにより、南部ブロックの移動は緩やかになっています。

北部ブロックについては、依然として活発な動きを続けていることから、今後は北部ブロックへの対策が重要な課題です。

もし、地すべり対策事業を行わなかったとしたら、滝坂地すべりはどのような被害をもたらすのかを想定してみます。
豪雨などによって地すべりが発生し、移動した土塊が阿賀川の流れをふさいでしまいます。
川をふさぐ土の量は約2,092万m3(東京ドーム約17杯分)、高さにして70mになると考えられます。
これだけの量の土が川をふさぐと、上流部は水が溜まり、その範囲は徐々に拡大していきます。
やがて、その大量の水は土塊からあふれ出し、それにともなって土塊が決壊、下流部にも土砂が土石流となって流出し被害が及びます。

北部ブロックは活動継続中。南部ブロックは対策施工の施工により活動が緩やかに
袖の沢排水トンネル 施工により地下水の低下。下沢の目 集水井W-5 施工により地下水位の低下。