国土交通省北陸地方整備局信濃川下流河川事務所 やすらぎのしなのがわ

関屋分水路

関屋分水路全景

 昭和の始め、信濃川の上流から運ばれてくる土砂によって、新潟港は水深が浅くなり、船の行き来が難しくなると心配されていました。そこで、関屋分水路は計画され、新潟市内で地盤沈下による浸水被害が目立つようになった1960(昭和35)年頃、その計画は本格化しました。つまり、新潟港にたまる土砂を減らすことと、新潟市を信濃川の氾らんから守ることをおもな目的に、関屋分水路事業は動き出したのです。
 1964(昭和39)年3月、新潟県の事業として着手されましたが、その6月に起こった新潟地震によって県は震災復興に全力を注がなければならなくなります。1965(昭和40)年に、信濃川が1級河川に指定されたことも重なり、関屋分水路は国の事業として行うことになりました。

【工事の変遷】

昭和42年撮影

関屋分水路着手前(昭和42年1月撮影)

昭和46年撮影

掘削がほぼ完了した関屋分水路
(昭和46年6月撮影)

新潟大堰

現在(分水路河口より)

信濃川水門

現在(本川との分岐部)