国土交通省北陸地方整備局信濃川下流河川事務所 やすらぎのしなのがわ

関屋分水路:「堀割町」の由来

 関屋分水路は古くから考えられていて、文政年間(1818年〜1829年)に横山太郎兵衛が唱えたのが始まりと言われています。
 1911(明治44)年には、新潟近郊の坂井輪地区の排水を良くするため、現在の関屋分水路のやや下流側に長さ約1.7kmの堀割がつくられました。しかし、海からの砂によって河口が埋まり、すぐに効果がなくなったと言われています。
 現在の新潟市堀割町は、その名残の地名なのです。

明治43年につくられた「関屋堀割」のルート

「関屋堀割」のルート