建設に至るまで
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富山県施工の湯川第1号砂防堰堤
(大正11年7月6日の洪水で流失)

安政の大地震によって常願寺川の姿は一変し、毎年のように出水が起こり、年とともに流出土砂のため河床が高くなっていきました。それを防ごうと富山県が砂防工事に着手したのが明治39年(1906)のことでした。
湯川第1号堰堤は工事の基幹となる砂防堰堤として、大正2年(1913)に着手されましたが、大正8年と大正11年の豪雨により根底から破壊されました。この災害が国による直轄施工の契機にもなったのです。

砂防計画の立案
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赤木正雄が計画した
白岩砂防堰堤及び上流の砂防設備

大正15年に常願寺川に於いて国による直轄砂防工事が始まり、初代立山砂防事務所長となった赤木正雄は、「常願寺川の砂防工事でもっとも重要な問題は、白岩砂防堰堤の施工場所にある」と考えました。白岩はその名の通り、白い岩盤(花崗岩、花崗閃緑岩)が大きく露出している場所であり、赤木はここを、砂防工事の基点と位置づけたのです。
そのため赤木は約1ヶ月間ほとんど毎日白岩砂防堰堤建設箇所の調査を行い、そのあとで常願寺川全般の砂防計画を立てたのです。そして多くの歳月と費用を投じ、昭和14年(1939)に白岩砂防堰堤は完成し、その後も順次副堰堤などが整備されました。

日本一の高さを誇る砂防堰堤
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完成当時の白岩砂防堰堤(昭和14年)

白岩砂防堰堤は、本堰堤の高さ63m、7基の副堰堤をあわせるとその落差は108mとなり、ともに現在でも日本一の高さを誇ります。
しかし、その工事は山奥の厳しい自然環境や降雪によって工事期間が限られるなど、困難を極めました。
貯砂量も大きい白岩砂防堰堤は、土砂調節量も大きく、昭和44年の大災害のときもその効果を発揮しました。
こうして常願寺川の上流に大量にある不安定土砂を抑える基幹となるのが、白岩砂防堰堤の仕事です。

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    現在の白岩砂防堰堤

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    白岩下流展望台より

堰堤の下流側に7つの副堰堤と工事用のインクラインが後に整備されました。左岸(写真右側)は、樹木で覆われています。

生まれ変わる白岩砂防堰堤

白岩砂防堰堤の左岸側は、コンクリート方格枠による一種のフィルダムとなっています。
富山県が発展して氾濫区域での資産の集積も増えている今、基幹堰堤としての白岩砂防堰堤の重要性はますます高くなっています。白岩砂防堰堤誕生以来50年以上の年月を経て、平成10年(1998)に右岸部の岩盤補強工事に着手し、平成17年に竣工しました。また、平成18年度より、左岸側の補強対策を実施し、平成21年度に竣工しました。