真川第4号砂防堰堤は湯川・真川合流点より約4km上流に位置しており、昭和44年8月の集中豪雨の際には本川(真川)に多くの土砂が流出しました。特に堰堤建設現場の上流の支川「岩井谷」や「馬ヤノ谷」が著しく荒廃したことから、土砂の流出の調整と、山腹の保全、河床の安定を図るために昭和55年に着工し、昭和60年に完成しました。
堰堤地点上流は大きな貯砂ポケットになっており、その貯砂量約224万m3本宮砂防堰堤に次ぐ規模のものであります。この堰堤の建設中に、安政5年(1858)の飛越地震の原因となった「跡津川断層」の露頭が偶然発見されました。

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    真川下流より上流を望む

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    上流より砂防堰堤を望む

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    右岸側から砂防堰堤を望む