2月26日「飛越大地震」

図

「大鳶山抜図」
(富山県立図書館蔵)

安政5年(1858)2月26日の八つ時(新暦4月9日午前2時ころ)、跡津川断層の活動によるマグニチュード7.0~7.1の大地震が飛越地方を襲いました。
この地震で、立山カルデラは大鳶・小鳶の両山をはじめとして各所で崩壊し、その土砂が常願寺川の上流をせき止めました。一般の被害はおよそ100ヶ村に及び、全壊家屋140~150戸、半壊家屋300~400戸と伝えられています。そのほか、城の石垣や家の壁、土蔵や土塀が崩れるといった被害や、地割れ、水の噴き出しなども記録されています。

大惨事に備える避難

写真

呉羽山
洪水に備えて殿様や町人が避難しました。

地震で崩れた土砂によって、真川、湯川の合流点より上流あたりでは流れがせき止められ、大きな水たまりができました。その水もしだいにあふれてきたので、27、8日ごろ下流の原村、本宮村などの村長から周辺の村民に対して、上流のたまり水はいつあふれ、どこに流れ出るかも分からないという通達がありました。
この地域では70年ほど前の寛政元年(1789)にも鍬崎山が崩れて常願寺川をせき止め、翌日切れて出水、その1週間後にも洪水があって大変難渋したという経験があります。そこで、28日の夜には城下のすみずみに「危険」のおふれが出され、家中の侍から町人まで山手に避難したと『地水見聞録』は伝えています。

3月10日の大土石流

地震発生から14日後の3月10日(新暦4月23日)、再び起こった地震によって、川をせき止めていた土砂が崩れ、上流にたまっていた水が一気に下流へと流れ下りました。泥流に混じって巨岩・巨石も押し寄せ、岩峅寺の宿坊や民家などが多数被害を受け、田畑も土砂で埋まりました。

4月26日の大土石流

4月26日(新暦6月7日)には、2回目の大規模な土石流が常願寺川下流をおそい、堤防を一気に破壊し、富山平野に押し寄せました。富山藩は被害を最小限におさえようと警戒し、避難を行っていたにもかかわらず、この土石流によって加賀藩領内だけでも140人の命が失われ、8,945名の負傷者と、おびただしい数の家屋被害が出ました。

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    安政5年(1858)の土石流で富山平野まで
    流れだした巨石の重さはおよそ400t