提供:新潟県
2004
中越大震災

震度7の激震
地すべり・斜面崩壊3,791か所

2004(平成16)年10月23日17時56分頃、新潟県中越地方をマグニチュード6.8の激震が襲った。震源地の川口町(現長岡市)では観測史上初めて震度7を記録、小千谷市、山古志村(現長岡市)、小国町(現長岡市)では震度6強、長岡市、十日町市など3市4町5村では震度6弱を記録した。
中越地方では大規模な地すべり・斜面崩壊が3,791か所で発生し、道路を寸断、景観を一変させた。芋川などの河川では崩壊した土砂が河川をせき止め各地で「天然ダム」を形成、決壊すれば土石流など大災害発生の怖れがあった。
さらに北陸自動車道、関越自動車道が通行止め、国道と県道では川口和南津トンネルをはじめとする241か所で通行止め、上越新幹線は浦佐~長岡間で脱線するなど、交通網は甚大な被害を受けた。

提供:新潟県

土砂崩れが川をせき止め
住宅が水没、交通は遮断された

最大震度7の地震によって、小千谷市や山古志村(現長岡市)を中心に土砂災害が各所で発生した。空中写真から判読された斜面崩壊は計3,791か所にのぼり、そのうち362か所では幅50m以上の大規模崩壊が発生していた 。高さ32m、最大長320m、最大幅168mの巨大地すべりが発生し、芋川をせきとめた。これにより水位が上昇し、約700m上流にある山古志村木籠集落(当時26世帯67人が生活)の住宅14棟全てが水没した。さらに新宇賀地橋が水没。国道291号の交通は遮断された。
妙見大崩落の現場に近い小千谷市浦柄では、地すべりによる土砂が朝日川の河道を塞ぎ、その上流部において氾濫、泥流が道路や集落を流下した。家の中を泥流が滝のように流れる様子が全国ニュースなどで報道された。

提供:新潟県

関越道通行止め、
脱線した新幹線

震災発生当初、関越自動車道、国道17号が通行止め、上越新幹線は長岡市内で走行中の車両が脱線し運行できなくなった。
最も早く復旧したのは高速道路で、地震発生から約19時間で緊急車両の通行を全線で確保。北陸自動車道は10月26日22時に一般車両の通行が可能になった。関越自動車道では、11月5日に片側1車線で一般車両の通行が、11月26日には4車線通行が可能となった。国道17号では川口町(現長岡市)の和南津トンネルの覆工コンクリートが崩落、剥離の復旧工事が難航したが、11月2日に片側通行を確保した。上越新幹線は、10月30日に新潟~燕三条間で運転を再開、全面復旧したのは12月28日だった。
交通網が全面復旧するまでは、磐越道や上信越道経由で新潟と首都圏を結ぶ高速バスが増便された。また空路では、定期便のなかった新潟空港~羽田空港間に臨時便が、地震発生翌日の10月24日から1月4日まで運航され、延べ約21万人が利用した。

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山古志村は全村避難
強い余震の中、10万人以上が避難

震度6強の激震を受けた山古志村(現長岡市)は、各所で地すべり、土砂崩れ、河道閉塞が発生、周辺の町から山古志に繋がる道路だけでなく、14の集落間をつなぐ道路も寸断され、村は壊滅状態となった。余震が続き二次災害も予測されたため、村は全村民の村外避難を決断、1,800余名は自衛隊のヘリコプターで救助され、長岡市内へと避難した。
中越大震災は本震が強烈であっただけでなく、強い余震が多発した。本震から15分後の18時11分頃にマグニチュード6.0、同34分頃にはマグニチュード6.5の最大余震が発生した。23日24時までに震度5弱以上の余震が10回、震度4以下の揺れが153回発生した。
約30万戸が停電、約13万戸が断水するなど、ライフラインも被災。強い余震が続いたため、避難者は最大時に全県で10万3,000名に達した。避難所ではなく、屋外や車中で避難生活を送る人も多かった。

提供:新潟県

■ 中越大震災の概要と被害

発   生 2004(平成16)年10月23日 17時56分頃
震 源 地 新潟県北魚沼郡川口町北部、北緯37度17分、東経138度52分、
深さ約13km
マグニチュード 6.8
震   度 震度7は川口町 震度6強は小千谷市、山古志村、小国町
震度6弱は十日町市、堀之内町、中里村、守門村、川西町、越路町、
刈羽村、長岡市、栃尾市、三島町、広神村、入広瀬村
(震度5強以下は省略)

参考文献:[新潟県中越大震災記録誌編集委員会編]中越大震災(前編)~雪が降る前に~、2006-03.

死   者 68人
重 傷 者 632人
軽 傷 者 4,163人
住家全壊 3,175棟
住家大規模半壊 2,167棟
住家半壊 11,643棟
住家一部損壊 104,619棟
非住家被害(公共施設他) 41,737棟

参考文献:[新潟県防災局危機対策課]新潟県報道資料、2009-10.
※市町村名は震災当時