提供:新潟県
2004
新潟・
福島豪雨
(7.13水害)

6河川、11か所で破堤
278か所で土砂崩れ

2004(平成16)年7月12~18日、新潟県中越地方と福島県会津地方を豪雨災害が襲った。7日間の総降水量は守門岳で663mm、栃尾で563mm、長岡市で340mmを記録。
この豪雨で、中越地方の刈谷田川、五十嵐川などの水位が急激に上昇した。13日12時52分に中之島町(現長岡市)の刈谷田川左岸、13時7分には三条市の五十嵐川左岸がそれぞれ決壊し、濁流が市街地に流れ込んだ。
その後、稚児清水川、猿橋川など合計6河川11か所で堤防が破れた。決壊には及ばなかったものの148か所で堤防が欠け、123か所で水が溢れたり漏れたりした。これにより三条市、見附市などで農地1万3,700haが冠水した。
新潟県内では、がけ崩れ278か所、地すべり61か所、土石流8か所が発生。この影響で国道は16か所の通行規制、ライフラインは、電話や携帯電話のケーブルが切断され通話できない地域が発生した。

提供:新潟県

1日で2か月分の降雨
山間から平野へなだれ込む

2004(平成16)年新潟•福島豪雨は、福島県境付近の狭い地域に短時間で大量の雨が降った。降り始めから2日目の7月13日、気象庁栃尾雨量観測所では、1日当たり421ミリの降水量を記録。これは災害発生時で最大だった1日あたりの降水量(342mm)の約1.2倍にあたる。また、7月の平均月降水量は243mmのため、 1日で2か月分の雨が降ったことになる。気象庁は、13日未明に下越地方、山上・長岡地域に大雨洪水注意報を発令、6時29分には大雨洪水警報に切り替えた 。
9時を過ぎた頃、北陸自動車道三条燕インター出入口が冠水のために閉鎖。各地で冠水が始まり、村松町(現五泉市)では能代川左岸の破堤が確認された。この頃、放流量を調節していた刈谷田川ダム、笠堀ダム、大谷ダムの流水量がピークに達し、満水状態になっていた 。12時52分ついに中之島の刈谷田川左岸が破堤、13時7分三条市の五十嵐川左岸などで破堤が始まった 。

提供:新潟県

急激な増水で孤立
ボート・ヘリコプターで救出

12日夜半から降り始め、13日午前中まで続いた局地的集中豪雨は、短時間で河川水位を急激に上昇させた。その速度は極めて速く、住民の避難を困難にし被害を拡大させた。避難勧告、避難指示は防災無線や広報車の巡回により伝達されたが、その声は激しい雨音にかき消され、屋内にいた全ての住民には届かなかった。さらに停電の影響でテレビがつかず、電話も不通となっており十分な情報が得られないまま多くの住民が逃げ遅れ、自宅2階や屋根に取り残された。
避難所となった学校でも孤立したところがあった。学校周囲及び校舎も水浸しとなり、生徒が帰宅できない状況であった。孤立した住民は、自衛隊、警察、消防、海上保安庁によりボート、ヘリコプターで救出。その人数は3,900人に上った。
この水害では、高齢者が逃げ遅れて死亡するケースが多かった。県内の犠牲者15名のうち、12名が70歳以上の高齢者となった 。

提供:新潟県

次の災害発生に備える

「平成16年7月新潟•福島豪雨」で発生した7.13水害から7年後の平成23(2011)年7月、新潟県は再び大規模な洪水に襲われた。同月27日から30日にかけ、三条市では累計雨量1,000mmを超えてその規模は7.13水害を上回った。
この「平成23年7月新潟・福島豪雨」では死者・行方不明者5名、7,000棟余の住宅が被災したが、一方では7.13水害後に行われた水害対策が効果を上げていたことも実証された。支流刈谷田川、五十嵐川堤防整備等(新潟県)と同時に、信濃川下流域で延長およそ 34.2kmに及ぶ堤防嵩上げ(国)を実施。信濃川の保明新田観測所(加茂市)で7月30日には水位9.82mを観測。7.13水害以前の堤防高9.8mを超えており、もし工事が行われていなければ越水による氾濫が起きていたと思われる。

■ 新潟・福島豪雨(7.13水害)の概要と被害

発   生 2004(平成16)年7月12日~18日

参考文献:[内閣府(HP 防災情報のページ)]平成16年7月新潟・福島豪雨

死   者 15人
重軽傷者 82人
住宅全壊(流出含) 71棟
住宅半壊 5,657棟
住宅一部損壊 82棟
住宅床上浸水 1,882棟
住宅浸水 6,197棟

参考文献:[新潟県]平成23年7月新潟・福島豪雨の記録
※市町村名は震災当時