宮川流域の災害

神通川流域降水量分布図(単位:mm)

神通川流域降水量分布図(単位:mm)

大正3年(1914)8月13日、小笠原付近から駿河湾を通り、関東北部を通過して鹿島灘に抜けた台風は、岐阜県飛騨地方と富山県下に大きな被害をもたらしました。当時の飛騨地方の降雨状況について『岐阜県治水史』には、「13日午前6時頃から少雨が降り始め、10時頃から北の軽風を交えて雨量も増加し始めた。正午頃から突然暴風雨に変わり、午後6時頃には各所の谷川が氾濫し始めて土砂の流失が続いた。同8時頃には暴風雨は一段と猛威を加え、間断のない豪雨は夜10時頃まで続いた」と記されています。

宮川流域の位置図

宮川流域の位置図

吉城郡坂下村(現飛騨市宮川町)では、塩屋大谷、打保上の谷、打保下の谷、戸谷大谷、桑野大谷、小豆沢大谷、小豆沢滝谷、洞谷から、岩石・土砂が大量に流出しました。これらの土砂が、宮川を堰止めたため、村は一面湖沼と化しました。洪水や土砂災害によって町内では、死者36名、住家流失49戸、全壊7戸、半壊2戸、浸水73戸、田畑流失74.3ha等の大きな被害が出ました。
この災害を契機として、大正8年(1919)7月から昭和5年(1930)9月まで、宮川流域では、直轄砂防事業が実施されました。

  • 飛騨市宮川町桑谷の流出土砂氾濫状況

    飛騨市宮川町桑谷の流出土砂氾濫状況

  • 飛騨市宮川町小豆沢の流出土砂氾濫状況(大正3年撮影)

    飛騨市宮川町小豆沢の流出土砂氾濫状況(大正3年撮影)

地名 災害状況
加賀沢 小豆沢谷・滝谷川で土砂が流出して、全家屋19戸中、家屋13戸が流失し、耕地・宅地に大きな被害が出ました。
小豆沢 小豆沢谷・滝谷川で土砂が流出して、全家屋19戸中、家屋13戸が流失し、耕地・宅地に大きな被害が出ました。
鮎飛 対岸の小豆沢谷の土砂流出発生で宮川が閉塞されたため、集落全面が泥海と化しました。産土神白山神社・全家屋・耕地が流失しましたが、幸いに死者はありませんでした。
杉原 山地からの土砂流出で玄昌寺が浸水し、周辺家屋が流失しました。
巣納谷 全家屋13戸中、家屋5戸が浸水被害を受けましたが、大きな被害はありませんでした。
祢宜ヶ沢上 水上谷で土砂崩れが発生して、家屋1戸が半埋没しました。また、祢宜ヶ谷から土砂押出しが発生して、炭焼きをしていた男性1名が死亡しました。さらにこの崩壊によって、対岸杉原字下島の耕地200a余が流失しました。
戸谷 全家屋16戸中、家屋15戸が流失・埋没して、死者22名の犠牲者が出ました。
中沢上 耕地の大半が流失し用水路壊滅等の被害がありましたが、人畜に被害はありませんでした。
塩屋 産土神社南東の洞谷が氾濫して、家屋が全壊した直後、背後の山で崩壊が発生して、山麓の凹地を埋塞しました。この崩壊によって、家屋・製糸工場が埋没して7名が亡くなりました。
打保 旅館1軒が流失して死者1名が出たほか、土砂が家屋を多数埋没しました。
山之山 山林崩壊で山之山~塩屋間の道路が、ほとんど全滅に近い状態になりました。
上流の洞谷で土砂が流出して、家屋2戸が浸水し、溺死者1名の被害が出ました。また、下流の小字沢付近のげんじが洞小谷で土砂崩壊が発生して、死者1名が出ました。
万波 万波川上流で氾濫が発生して、川沿い家屋2戸・耕地が流失しました。下流で炭焼き稼業の男性1名が溺死しました。

このほか富山市八尾町では、各河川で大洪水が発生して、溺死者84名、家屋流失167戸の甚大な被害が出ました。また、8月16日発行の『富山日報』は、同市大沢野町下夕の被害の様子を「流れ出る土砂は土一升に水五合というほとんど壁の如きものにて」とその凄まじさを伝えています。さらに翌17日の同報では、「下夕村は全滅と称するも誇大にあらざるものの如し」と記されています。

現在の宮川流域

現在の小豆沢

現在の小豆沢