洞谷災害

洞谷位置図

洞谷位置図

岐阜県高山市奥飛騨温泉郷の中心に位置する洞谷で、大規模な土石流災害が発生してから30年の歳月が過ぎました。
今回は神通川水系砂防事務所開所以来最大の被害を出した同災害を振り返ってみることにします。

洞谷災害写真

洞谷災害写真

洞谷は栃尾温泉街(高山市奥飛騨温泉郷、旧上宝村)を貫流する渓流です。
この洞谷で災害が発生したのは1979(昭和54)年8月21日~22日にかけてでした。
当時、沖縄南方海上にあった台風第11号の影響で、本州南岸に停滞していた前線がゆっくりと北上し活発化、岐阜県北東部を中心に激しい雨が降りました。
22日午前7~8時までの1時間の降雨量は高山市奥飛騨温泉郷栃尾で54mm、飛騨市流葉山で32mmを記録、21~22日までの総降雨量は栃尾で238mm、乗鞍岳で184mmに達しました。
これは高山測候所の調べによると、同地方の観測史上最大級の降雨量だったのです。

災害発生直後の被災状況

災害発生直後の被災状況

この集中豪雨により22日午前7時50分頃、栃尾地先の洞谷最上流部(標高約1950m地点)が崩壊して土石流が発生しました。
巨大岩石を含む約7万m3の土石流は既設の砂防堰堤を瞬時に破壊、一瞬で栃尾温泉街を直撃しました。土石流は県道槍ヶ岳公園線を分断し、高さ約8mに達する土砂を道路上に堆積させました。

栃尾中学校周辺の被災状況

栃尾中学校周辺の被災状況

この時、洞谷直下の橋梁を乗用車で通行中だった観光客3名が土石流に巻き込まれ、死者2人、行方不明者1人の痛ましい犠牲となりました。
その他、被害は負傷者4人、全壊家屋11戸、床上浸水27棟、床下浸水9棟、被災世帯数は44戸に及びました。洞谷直下にあった栃尾中学校では体育館1棟が大破し、館内にはおびただしい量の土石が溜まりました。他にも20台に及ぶ車が冠水及び流失し、2ヶ所の橋梁が流失、土石流による道路の決壊等で温泉街が孤立して約3,000人の観光客が閉じ込められる等、この地方の有史以来の大惨事となりました。
岐阜県のまとめによると、この災害における飛騨地方での総被害額は23億2千万円にのぼると言われています。

栃尾在住の方々の被災時の体験談

流出した巨石に埋もれた商店

流出した巨石に埋もれた商店

「雨が凄すぎて、逃げようとしたって逃げられませんでした。一階に1mも水が入ってしまい、どうしようもなくしばらく待っていたら幸い水が引きました。災害に遭うと、大勢の力が大事だと思わされます。本当に皆のおかげです。立派な護岸ができて、本当にありがたいと思っています。」
「朝の7時40分くらいだったでしょうか、お客さんの朝食の支度をしていると、地震だろうかと思うぐらいのゴーッという音がしたんです。急いでお客さんを二階に起こしに行って、窓の外を見ると、電柱が押し流されているのが見えました。裸足のまま逃げるのがやっとで、外に出ると、もう土砂が押し出してきて、まるで海のようになっていました。その時は本当に恐ろしかったです。土砂で家は潰されてしまいましたが、お客さんの命だけは守る事ができました。」

  • 街を覆い尽くす土石の山

    街を覆い尽くす土石の山

  • 被災地の状況

    被災地の状況

現在の洞谷の状況

現在、洞谷には被害の再発を防ぐために流路工が整備されています。
また、洞谷一帯には数百本の桜の木が植えられ、桜が満開となる毎年4月末から5月上旬には、温泉街復興の証として桜祭が催されています。

  • 現在の洞谷

    現在の洞谷

  • 流路工が整備された状況

    流路工が整備された状況