羽越水害50年記念事業(荒川水系)
『語り継げ!羽越水害子に孫に』
胎内市における被害
中条町(当時)では8月28日午前9時ころから断続的に強い雨が降っていましたが、午後2時ころから豪雨の兆候が濃くなりはじめました。
午後6時ころ、羽黒川が氾濫しはじめ、午後11時には東本町・北本町・本町・西栄町などで水位が50センチから1メートル20センチの濁流が流れるように。
午後9時に全町が停電となったのに加え、国鉄(当時)の羽越線や国道7号線が濁流で寸断され、町は孤立状態に陥りました。
中心部の被害もひどかったのですが、山間部の被害はさらにひどく、飯角川、羽黒沢川など合計8本の小河川が一斉に氾濫し、700万立方メートルにも及ぶ大量の土砂崩れが起きました。
最大の被害を受けたのは、山津波に襲われた飯角地区で、地区21戸のうち7戸が全壊、10名の命が失われてしまいました。飯角地区は翌年昭和43年に集落の西にある高台に移転しました。
黒川村(当時)でも、28日の午後になると中小河川が氾濫し、いたるところに水があふれ、道路や橋が流失・埋没・決壊して全村が孤立してしまいました。
午後8時には全村が停電、9時過ぎ、蔵王と胎内の各部落を土石流が襲い、蔵王・坂井(南俣)・須巻・下荒沢・小長谷・鍬江は家が流失・埋没など壊滅状態となりました。
塩谷・坪穴・鼓岡・持倉などの地区も住家・耕地などが土石流のため大被害を受けるという未曽有の出来事でした。なお、これらの地区は、集団移転が行われました。
参考:中条町史,黒川村誌
人的被害 | 住家被害 | ||||
---|---|---|---|---|---|
中条町 | 黒川村 | 中条町 | 黒川村 | ||
死者 | 15名 | 24名 | 流失 | 8戸 | 32棟 |
行方不明者 | 7名 | 全壊 | 51戸 | 86棟 | |
重症者 | 12名 | 半壊 | 55戸 | 81棟 | |
軽傷者 | 71名 | 床上浸水 | 1,737戸 | 358棟 | |
床下浸水 | 3,347戸 | 545棟 |
出典:豪雨のつめあと 8・28羽越水害の記録,黒川村誌
被害の様子 【胎内市】









