飯豊山系情報

流域の文化

この地域は縄文時代から人々が住み、古くから人や文化、物資の交流地点となっていました。「マタギ文化」など、独特の文化が生み出され、今日まで受け継がれています。

■小国町

~消えゆくのか、マタギ文化・小国もマタギ衆~

熊まつり
熊まつり(小国町)

熊まつり
熊まつり
猟の収穫を感謝し、射止めた熊の冥福を祈り、マタギの安全を願う熊まつり(小国町)

 “マタギ”。それは21世紀に入った現在においては、幻のように消えさろうとしている言葉です。しかし、往時の隆盛は望むべくもありませんが、東北地方や新潟県の山間部には、まだマタギと呼ぶ狩猟を業としている人々が暮らしています。もう伝統あるマタギのしきたりは厳密には守られていないかもしれませんが、それらの人々はマタギの自負心を胸に抱いて今も深山に分け入っているのです。
 先祖代々伝えられてきた伝統あるマタギの精神。その基本精神は、山は山の神が支配するところで、獲物は山の神からの授かりものだという考え方です。従ってマタギ衆は山の神を心から尊敬し、山での掟を固く守り、山では山言葉を使用するなど、古い伝統と厳しいマタギの作法を守りながら狩りをしているのです。
 マタギの語源は定かではありません。山をまたいで歩くとか、ほかの領地に越境して猟をするため、その地域の領民にとがめられた場合にマダ(繊維を生ずる樹皮)をはぎに来たといって偽りを言ったので、マダをはぐという言い方からマタギになったとか、さまざまな説がありますが、いずれも定説までには至っていません。
 マタギの伝統は青森、岩手、宮城、山形、新潟など主に東北地方に多く伝えられています。山形県の小国地方では今でもマタギ衆が暮らしており、山開きの2月に熊狩りが行われています。山開きの日には中片貝集落の不動院から法印さまが来て、八卦祈祷を上げてもらうのが伝統のならわしだそうです。
 また、5月には小国の小玉川で熊まつりが行われます。この行事は文字どおりお祭りで、見物客は千人を超す盛況ぶり。まつりの広場の右手にはテントの店がズラリと立ち並び、熊汁の店や玉こんにゃくの店などが続いています。両脇には十二山神社の氏子たちののぼりが風にはためき、熊の皮が張られた紅白の幕がはりめぐらされます。そして白い布で覆われた祭壇には熊の頭が備えてられています。
 このお祭りの一つに“お湯立ての儀”という行事がありますが、これは中津川神社の宮司が祈祷を唱えながら大釜の煮えたぎる湯に、束にした笹の葉を入れ、周りを囲むマタギや見物人にふりかけるという儀式で、釜の湯を清水に戻すという意味がこめられた行事です。
 マタギの生活では忌を厳しく守りぬきます。とくに嫌うのが産火で、その家に子供が生まれたらその日から1週間は猟には出ません。出猟しても熊を仕留めることはできず、それどころか怪我をしてしまうのだといいます。お産のあった家の火でタバコを吸うことも禁じられています。
 また、猟に出ている者がある家では、豆を煎ってはならないとされています。もし豆のはじける音がすると、それは雪崩が起こるとされるのです。さらに朝出かけるとき鼻歌を歌ったり、あくびをしたりするのも嫌います。そんなことをする者がいると、罰として裸になって水を浴びせられるのだといいます。
 狩りの作法も厳重で古式を守り、山に入れば山言葉を用いて、これを外部の者には聞かせないのが通常です。狩猟をする際にはヤマサキ(山形県小国郷の呼び名、地方によってはスカリ、シカリ、メアテ)と呼ばれる指揮者の統率に服します。狩りにおいて指揮者は絶大な権限を持っており、もし従わない者がいれば水ごりをさせられたり、即刻下山させられたりします。
 狩りのときの服装は一定しており、カモシカの皮を背に背負い、はばきをつけ、麻袋の山袴をつけるものとされています。そのほか手袋、甲ハバキ、毛足袋もつけますが、これらは土地によってつける物が違っています。
 マタギの山言葉も秋田、山形、新潟など地域によって異なっていますが、現在知られている山言葉は約300ほどあるといわれています。たとえば味噌のことを、小国ではソツパイと言いますが、新潟県の赤谷ではカイナメ、湯之谷ではシチ、秋田の根子ではサギと言います。また、塩のことは小国ではカリと言いますが、他の地域ではカリアイとか、サンゴとか、カラムシなどと言います。狩りに必要な犬の呼び名もセタ、セッタ、シエダなどと地域や部落によって違います。このように山言葉は禁忌に厳しいマタギの世界独特の風習として形成されたものなのです。
 マタギ衆はなぜ山言葉を使用するのでしょうか。考えられるのは彼らの山の神に対するつつしみぶかい気持ちの現れ。それに敏感な獲物にこちらの気配を気取られないようにするため。さらにマタギ衆が自分自身のけがれを払うという意味もあるのではないかといわれています。一面では命がけの厳しさを物語るものともいえそうです。