飯豊山系情報

流域の文化

この地域は縄文時代から人々が住み、古くから人や文化、物資の交流地点となっていました。「マタギ文化」など、独特の文化が生み出され、今日まで受け継がれています。

■新発田市

~10万石の歴史と文化の香りただよう越後の城下町~


城下町の文化を残し、桜の名所でもある新発田城(新発田市)


足軽長屋(新発田市)


あやめ園(五十公野公園)
“あやめのお城”として長い歳月、市民に親しまれている新発田城。春4月、そのお城から桜吹雪を通して春霞の中に雪をいただく飯豊の山々が浮かんで見えます。新発田の街は江戸時代の中頃、このあやめ城を中心として町並みが形成されていきました。
 新発田城は、慶長3年(1598)加賀大聖寺より6万石をもってこの地に移った溝口秀勝が義弟長井清左衛門などに命じて築いた平城で、入封後50年余り経過した17世紀中頃に完成したといわれています。天守閣はなく、戦の時には加治川の水を入れて水城にして防ぐ構えだったといわれ、別名“浮き舟城”とも呼ばれていました。現存する城郭は表門と旧二の丸隅櫓のみで、表門は享保17年(1713)に再建されたもので、二の丸隅櫓(すみやぐら)とともに国の重要文化財に指定されています。新発田城は石垣の美しさでも知られていますが、これは五十公野古寺(新発田市内)から運ばれた古寺石が使われ、“切り込みはぎ”と呼ばれる工法で仕上げられています。
 堀の外側には二の丸、堀を隔てた南側には三の丸が配置されており、その南端に大手門がありました。城下へは五十公野、杉原、鉄砲町などを経由するように町づくりがなされていましたが、これは防備の都合上、会津方面を最も警戒していたことから考えられた町づくりであるといわれています。
 新発田市大字虎丸にある坂ノ沢遺跡は、旧石器時代と平安時代の遺跡で、その石器群は新潟県最古のものです。また、村尻遺跡は弥生時代の中期の遺跡で深壷型土器や壷型土器などが数多く発見されています。このようにここ新発田の地ははるかな歳月を隔てた時代から祖先の営みが続けられてきましたが、武士と庶民の手による手づくりの文化の華が開くのは、溝口秀勝が入封した後の17世紀に入ってからのことでした。 入国した秀勝は、五十公野に仮の館を構えて領内の統治と築城、そして町づくりの構想を練りました。秀勝の当初の計画は子孫の代に引き継がれて、しっとりとした越後の城下町新発田は歳月の経過による美しい艶を加えながら少しずつ形づくられていったのです。
 “あやめのお城”は南北に長いヒョウタン形の城郭です。そのお城の外堀を隔てて家臣団の屋敷が続き、さらに外側に町人の家々が張り出すように地割りされ、町は南西方向に向かって広がっていました。
 二代藩主の宜勝の時代の元和年間(1615~24)になると、町人町はめざましく発展していきました。新発田川を越えて新しい町屋が農村地域にまで建設されていったのです。藩は新しい町づくりのために町割りを行い、新町の開発を積極的に推進していきました。狭い土地を有効に生かそうと、家割りは間口が狭く奥行の深い形に統一されました。これは発展著しい町の将来を考え、できるだけ多くの人が住めるようにしたものです。新しい町は上手から立売町、万町、指物町、麩屋町、桶町、材木町、紺屋町、鍛治町などです。
 こうして新発田の町づくりは秀勝の入封以来、1世紀をこえる歳月をかけて手を抜くことなく、美しい織物を紡ぐように丁寧に行われていきました。こうした歴代藩主たちの手づくりによる町づくりは庶民にも大きな影響を与え、町には衣食住にわたるいろいろな職人たちが育ち、建築や工芸、その他の物づくりなど武士の暮らしを支える職人技が発達していったのです。新発田にはいろいろな銘菓が伝わっていますが、これも茶道を愛した藩主や武家の伝統によるもので、新発田は17世紀から茶道人口が多かったため、なおさら菓子づくりが盛んになったといわれています。これも城下町文化のよき伝統だと言えるのではないでしょうか。
 アヤメやハスの花がお城の堀を彩る新発田には、江戸時代の面影をしのぶ建物等も数多く遺されています。“清水園”は藩主であった溝口家の下屋敷で、近江八景を採り入れた茶室のある回遊式庭園があることで知られています。これは寛文6(1666)年に、小堀遠州の4代目で幕府のお庭方であった県宗智が設計したもので、歩いていくと風景が次々に変化して見飽きない庭だと高く評価されています。小川をはさんで清水園の向かいにある下級武士の住居“足軽長屋”は、1軒が8棟に分かれている長屋形式の住まい。江戸時代の2DKの住宅といったところでしょうか。
 新発田の街中は小路が縦横に通じており、ゆるやかにカーブを描いた路もあって、初めて訪れる者にはなかなかわかりにくいところもありますが、これも城下町独特の風情であるともいえます。そぞろ歩きをしていると、「花嫁人形」など大正ロマンををやさしい画風で描きあげた画家蕗谷虹児を記念して建てられた「蕗谷虹児記念館」、けんか祭りで勇名をはせる新発田総鎮守「諏訪神社」などの雰囲気のある建物にも出会えます。