飯豊山系情報

流域の文化

この地域は縄文時代から人々が住み、古くから人や文化、物資の交流地点となっていました。「マタギ文化」など、独特の文化が生み出され、今日まで受け継がれています。

■関川村

~米沢と北越後を結ぶ物資流通の道~

渡辺邸(関川村)
渡辺邸(関川村)

荒川峡(関川村)
荒川峡(関川村)

関川歴史とみちの館
関川歴史とみちの館
関川歴史とみちの館(関川村)

えちごせきかわ大したもん蛇まつり
村に伝わる大蛇伝説「大里峠」をモチーフとしたえちごせきかわ大したもん蛇まつり(関川村)

 米沢街道は越後の代表的な城下町である新発田と、出羽を代表する城下町米沢を結ぶ街道です。その間には山あり、谷あり、峠道あり、そして七曲がりの細道もありました。
 旧・米沢街道は、近世後期の地理学者である小倉蒼軒が著した「越後志料」における定義を借りれば、三国街道の間道、すなわちゆききする道として栄えた街道でした。越後側の起点は新発田で、黒川御陣屋町を経由して三国街道と分かれ、大島・下関・上関、大内渕、出羽・小国の玉川口を経て、出羽側の起点である米沢に通じています。
 越後から米沢に向かう旅は、まず新発田の城下を出て大島村(現・関川村)に向かいます。そのあたりから荒川のけ わしい谷をさかのぼり、関川盆地の下関宿を通って大里峠を越え、小国へと苦しい歩を運びます。
 この峠道は当時の旅人を苦しめた大変な難所でありました。現在では国道113号線として整備されているため、往時の旅人の苦労や難儀はしのぶべくもありません。とりわけ下川口村から始まる二タ重坂、下内渕村・柄目木・大里峠と続く急坂や細い折れ道は難所中の難所といわれました。
 このあたりは地名からも想像がつくように、湿地の多い地すべり地帯で、秋の長雨の時節には道路に水があふれて泥道になるため、旅人はむろん、牛馬による荷送りにも大変難儀をしたと伝えられています。
 下関の豪商・豪農で、この地域一帯の大庄屋であった渡辺本家では、この難所の工事をしなければ物資の流通に困難をきたすと考え、文化7年(1810)に、以前上納した貧民御救手当の買い上げ米の代金300両の下げ渡しを水原代官所に願い出て、工事の資金調達のめどを立てました。そして嘉永4年(1851)より待望の工事を開始。道幅を以前の6尺(約1.8m)から3間(約5.4m)に広げ、崖くずれを起こしそうな危険な箇所は新規に切り開いて掘り込んでいきました。そして水流しの細堀をつくり、さらに出水時に泥道になる箇所には切石を敷きつめ、しっかりとした道をつくりました。この大工事には延べ5,000人余りの人夫を使ったといいます。
 なぜ、これほどまでの費用と労力をかけて道づくりを行ったのでしょうか。それは豪商である渡辺家の経済的な思惑もあったの でしょうが、言うなれば米沢街道はこの一帯はむろん、新発田や村上、それに米沢にとっても重い価値をもつ生活の道。そして文化や情報を運ぶ重要な道でもあったからでした。このように、米沢街道は参勤交代や諸役人たちの公用に用いられた道というよりも、米沢と越後を結ぶ物資流通のルートであり、文化や情報を運ぶ重要なルートという機能が大きかったようです。
 物資は、下り荷が米沢藩の新潟湊渡しとなる小国蔵米を主に、米沢特産のからむし、まゆ、漆、ろうなどで、上り荷は塩を中心に小間物や薬種などでした。苦境にあえいでいた米沢藩を立て直したといわれる上杉治憲(鷹山)が計画し育てた米沢の特産物も、この街道を通って新潟湊まで運ばれ、白帆にいっぱい風を抱いた北前船で大坂や京都、江戸へと運ばれていったのでしょう。
 米沢街道は荒川に沿ってさかのぼっていくので“荒川通り”とも呼ばれていました。従って舟便もあり、その河湊として荒川湊がありました。その湊は塩谷湊・桃崎湊・海老江湊の3つの湊で構成されていました。米沢藩にとって米沢街道と、この荒川による舟便は物資の重要な輸送ルートであり、沿線の人たちにとっても生活物資を運ぶ生命線ともいうべきルートだったのです。
 米沢街道の工事に大切な役割を演じた渡辺家は、近世初期、村上藩の武士として郡奉行を務め、のちに帰農してこの地に土着した家柄です。やがて回船業や酒造業を営むかたわら、新田開発や大名貸しを行うようになり、財を築きました。米沢藩との関係も深く、その融資額は幕末までに10万両にも達したといわれています。このようにして蓄えた財産により次々に田畑、山林を手に入れて大地主になりました。そして明治時代中期には、所有する田畑は約400町歩、山林は1,000町歩にも及んだといわれています。
 関川村にある渡辺家は現在、江戸中期の豪商・豪農の館として見学できるようになっています。屋根の上にはゲンコツのような石が規則正しく乗せてあり、それがとても印象的に見える伝統美あふれる建物です。内部は広い土間に沿って茶の間、台所などがあり、大黒柱や梁の見事さに圧倒されてしまいます。
 米沢街道に沿ってゆっくり流れる荒川をさかのぼると、湯沢、雲母(きら)、高瀬、鷹ノ巣の4つのいで湯があります。いずれも荒川峡に面しており、清流とともに新緑や紅葉を楽しめる美しい自然の中の温泉です。