飯豊山系情報

流域の文化

この地域は縄文時代から人々が住み、古くから人や文化、物資の交流地点となっていました。「マタギ文化」など、独特の文化が生み出され、今日まで受け継がれています。

■胎内市

~燃える水発祥の地、日本最古の油田~

胎内パークホテル

胎内パークホテル
豊かな自然が地域の産業と結びついてる胎内パークホテル

胎内スキー場ナイター
胎内スキー場ナイター

胎内 昆虫の家
胎内 昆虫の家

 新潟県はわが国において最も歴史のある石油産出地域です。「日本書紀」によれば、天智天皇の7年(668)に、「越国、燃ゆる土燃ゆる水を献ず」と記述されています。これは燃える水すなわち臭水(くそうず)と呼ばれていた原油を天皇に献上したことを記したものです。この燃える水こそ、黒川村の地から採取されたものであるといわれています。
 現在でも黒川村下館の塩谷地内には油坪が多く残っていますが、このように早い時代に発見され献上されたのは含油層が浅くて、自然に原油が湧き出る状態になっており、人目につきやすかったからでした。
 燃える水の発見という珍しい出来事でしたが、都から遠く隔たった北陸の一地方でのこと。通信手段もない古代においてはなかなか都までは伝わりにくいはずなのですが、燃える水が献上される20年前の大化4年(648)には越の国に磐舟柵がつくられ、都との往来も頻繁にあって、この珍しい燃える水のことは早くから知られていました。
「水が燃えるなどということは、一体有り得ることなのだろうか」
おそらく当時の都ではこんな思いを抱いて不思議がったのではないでしょうか。黒川の燃える水を見たい。それで天智天皇の即位に合わせて献上されたということなのでしょう。
 時代は下って江戸時代、「北越雪譜」で知られる鈴木牧之も、その著述の中で石油のことを臭水とよび、越後七不思議の一つとして紹介しています。
 黒川村の地名は、古くから黒い原油が流れていたことから黒川という地名がつき、中世においてこの地域を支配していた和田氏も、黒々とした燃える水が流れる川から姓を改めて黒川にしたと伝えられています。
 この燃える水にちなんだ儀式も、滋賀県の近江神宮と黒川村で毎年行われています。天智天皇を祀る近江神宮では、「日本書記」に記されている燃える水の献上地は黒川村であるとして、毎年7月7日に燃水祭を行っています。また、黒川村でも献上の故事にならって7月1日に燃水祭を催し、日本で最古といわれる油坪から採取した臭水を近江神宮に献上しています。  この臭水を採取した油坪は国の史跡に指定されて、その場所である公園の名をシンクルトン記念公園と名づけています。この名は明治6年(1873)に黒川村に来て、原油の採掘技術を指導したイギリス人医師の名をとったものです。
 黒川油田は櫛形山脈・蔵王山塊の丘陵地帯に広がっており、油田は第4紀層に分布しています。黒川油田の本格的な開発は昭和15年から始まりました。最盛期は戦時中の昭和17年で、それ以降は急速に減産していきました。しかし昭和31年までの掘削井数は100をこえ、総産油量は3万キロリットルを記録しました。昭和39年当時の総掘削坑井は約100坑ありましたが、そのうち出油坑井は約50坑で、成功率は50%でした。その後もわずかですが、塩谷入口と胎内川氾濫原で採油されています。
 黒川原油の色は黒褐色。ガスはメタンが主成分で二酸化炭素が多量に含まれており、それが黒川油田の特徴の一つになっています。
 黒川村では日本最古の油田をわかりやすく紹介した展示を「黒川村郷土伝習館」で行っています。ここは石油の展示がメインになっていますが、そのほかにも黒川村の民話のテープや郷土芸能のビデオテープ等が用意されています。
 燃える水の発祥地である黒川村は、“越後の奥座敷胎内”と呼ばれ、スキー、温泉、遊歩道を利用した自然観察に観音様参りと1年中観光客の絶えることがない村です。
 スキー場は胎内スキー場があり、下越地方随一の設備を誇っています。雪質・積雪量ともに恵まれ、設備もリフト、ロープトウ、ロッジ、レストハウス、それに夜間照明や駐車場なども整っています。このスキー場を訪れる人たちはスキーを楽しんだあと、クアハウスで温泉に入るのが楽しみだといいます。初心者からベテランまで思う存分スキーの醍醐味を味わえるスキー場です。
 まるで立体昆虫図鑑のような「胎内昆虫の家」も子供たちに人気です。日本海を流れる暖流の影響で北方系の昆虫ばかりでなく、南方系の昆虫も数多く見られるのが新潟県下越地方ですが、この昆虫の家ではさまざまな種類の昆虫を見ることができ、世界各地の珍しい昆虫標本、それに映像やパネルもあり、生きている昆虫に触れられるコーナーも用意されています。