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阿賀野川流域パンフレット

最終更新日:2009.06.04

阿賀川の治水事業

清冽で水量豊かな水が会津に住む人々に多くの恵みをもたらす阿賀川ですが、会津盆地の出口にあたる地域において大きく蛇行しているうえに峡谷となっており、洪水の流れが妨げられ被害が頻発しました。
 慶長16年(1611)の地震による地すべりと洪水で山崎新湖が出現しました。下流部阿賀野川における砂丘に相当するのがこの狭窄部といえます。
 また、近代になって、会津全体を襲った大正2年(1913)の洪水、昭和31年(1956)の「会津大水害」、昭和57年(1982)の洪水など、被害を経験しながら、さまざまな治水対策がなされてきました。

湯川新水路工事 宮川水路工事 日橋川改修 湯川新水路工事 宮川水路工事 日橋川改修

山崎新湖の出現

山崎新湖の推定図

会津盆地で四方から集まる支川を流入させた阿賀川は慶徳村(現喜多方市)山崎でビンの口のような狭窄部に入り、泡の巻・土堀・袋原の各地点で大きく蛇行していました。そのため洪水が円滑に流下せず、氾濫が起きて砂礫や土砂を堆積させていました。
 慶長16年(1611)には、大地震による山崩れが発生し、阿賀川が堰き止められて山崎新湖という湖が出現しました。水抜きのための掘り割り工事が行われましたが、大洪水のたびに新湖が姿を現し、人々を脅かしました。その後、50年以上も湖が残っていたとされています。

狭窄部の捷水路工事と改修工事

狭窄部の捷水路工事
 大正10年(1921)から昭和13年(1935)にかけて、山崎狭窄部の蛇行区間で3本の捷水路の開削が行われました。泡の巻・土堀・袋原の各捷水路です。この捷水路工事により旧河道10.1kmを0.8kmにショートカットしました。川西村(現会津坂下町)の袋原では阿賀川が約6kmにわたって大きく迂回していましたが、捷水路開削によって、約500mまで短縮されました。
 しかし、地すべりの発生や戦時機運が強くなったこともあり、大量の未掘削エリアを残しながら昭和14年(1936)に工事が中断しました。

陸地測量部作成の5万分の1地形図(喜多方)大正6年
陸地測量部作成の5万分の1地形図(喜多方)大正6年

阿賀川下流狭窄部の改修工事
 昭和57年(1982)9月、会津地方を襲った戦後最大の洪水を機に、阿賀川狭窄部改修事業が再開されました。
 改修区域は「泡の巻」、「津尻」、「長井」の3区域に分けられ、治水効果の高い「泡の巻」地区は平成10年(1998)11月に完成しました。
 現在、「津尻」に着手し、段階的に掘削を進めています。

津尻地区の改修工事
津尻地区の改修工事
泡の巻地区の改修工事
泡の巻地区の改修工事

新水路の開削

阿賀川の支川もしばしば氾濫を起こし、被害をもたらしてきたことから宮川と湯川について新水路を開削し、より早く阿賀川に合流させる治水対策がとられました。

湯川放水路の河道状況
湯川放水路の河道状況
湯川放水路
湯川放水路

●湯川放水路
 湯川は会津若松市から日橋川との合流点までの間が洪水常襲地帯であったため、これを防ぐ目的で新水路が計画されました。延長約2.5kmの水路で昭和33年(1958)に通水しました。
 湯川放水路は会津若松市街地を流れる貴重な水辺のオープンスペースですが、都市化の進展に伴い水質汚濁が進みました。現在では、新湯川の良好な水質の確保や生物生息環境の回復のために、地域と一体となって、水環境整備事業が行われています。

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宮川放水路
宮川放水路

●宮川放水路
 宮川は中・下流部の河積不足から洪水常襲地帯であったため、これを防ぐ目的で新水路が計画されました。延長約2.8kmの水路で昭和31年(1956)に通水しました。

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日橋川の改修

昭和16年(1941)の洪水を機に、阿賀川改修の一環として昭和18年(1943)に施工許可を受けたものの、戦争のために実施されませんでした。しかし、昭和31年(1956)の洪水を契機に日橋川の改修が急を要する事業として採択され、蛇行流路のショートカットや築堤、河積の確保等の改修事業が着工し、昭和56年(1981)に全区間の堤防が概成しました。

●身神川排水機場の建設
 喜多方市塩川町を流れる日橋川支川の身神川流域は昔から低平地で、日橋川の水位が上昇すると、日橋川への排水が困難となり、しばしば氾濫し、多くの被害をもたらしました。このため身神川排水機場(2m3/s)が建設されました。本来の役割である排水機能のほかに、 塩川町の物産を展示販売するコーナーや河川ならびに周辺地域の情報提供・交換の拠点として、一般にも開放された多目的施設となっています。

昭和22年(1947)空中写真より判読した旧河道
昭和22年(1947)空中写真より判読した旧河道

昭和16年の日橋川洪水により冠水した塩川町
昭和16年の日橋川洪水により冠水した塩川町

身神川排水機場
身神川排水機場

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多自然川づくり

多自然型川づくりの一例
多自然川づくりの一例
(高久護岸災害復旧工事のカゴマットと捨て石)

阿賀川は多くの生物が生息する自然環境豊かな河川であり、そこに生息する生物や周辺の自然環境を踏まえ、治水と生物生息基盤としての河川環境のバランスのとれた川づくりを進めています。環境調査の充実を図るとともに、仮設等においても、多様な環境に対して配慮し、モニタリング調査を行いながら多自然川づくりを進めています。
 木や石などの川にある天然の素材を利用した工法、阿賀川で昔から使われていた伝統的な工法など、阿賀川では様ざまな多自然工法が採用されています。

その他

詳細:国土交通省北陸地方整備局阿賀川河川事務所
http://www.hrr.mlit.go.jp/agagawa/

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