急流荒廃河川改修への取り組み

常願寺川は、戦時中に改修工事が休止されていたこともあり、その荒廃はすさまじかったが、昭和22年に全国十大直轄河川に選ばれ改修工事が復活、再生への途上についた。
当時常願寺川改修は現状の天井川のままか、江戸時代の安政の立山崩壊以前の低い位置に戻すかという選択を迫られていた。

橋本氏は、安政の立山崩壊以前の低い位置に戻さなければ常願寺川の安定は図れないと考えていた。積極的な砂防工事に加え、堤防があるところでも河床を積極的に下げることを考えた。そして、タワーエキスカベータを使った大規模な掘削が行われたのである。
一方、人工的な掘削だけでは十分ではなく、自然の掃流力を使う必要がある。乱流、偏流を是正し、これを正しい姿の蛇行に変えるために、従来の「受ける水制」に加え、蛇行の水裏部分の洲を固めるための「はねる水制」すなわち巨大水制が導入された。
この考えは、すでに富士川で試されていたが、それは木材の合掌枠を並べたもので、流れに対する強さが足りない上に耐久性がなかった。そこで、橋本氏は、耐久性と強度のあるピストル水制を創案し、黒部川左岸の大布施地先にその第1号を誕生させた。
また上滝で施工した床固(とこがため)は、上流だけでなく下流部の河床低下をも狙ったものであった。積極的な河床低下対策として床固を取り入れたのは、橋本氏の卓見であろう。

タワーエキスカベータの導入

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昭和24年8月は、北陸の急流河川にとってひとつの大きな転換点であったというべきであろう。常願寺川でタワーエキスカベータ第1号機が運転開始されたのである。
タワーエキスカベータとは塔状の大型掘削運搬機械のことで、従来人力によるところが多かった作業を、大型機械で一度に大量に行うことができるようになった。これにより、中流で河床が上昇していた常願寺川でも、掘削が急速に進捗するようになった。

こうして荒れるにまかせていた北陸の急流河川改修は、この時を境に大きく前進し始めた。「もはや戦後ではない」という言葉が経済白書に登場したのは昭和31年だったが、随分と世間から先じて「戦後」を抜け出していた感がある。
このタワーエキスカベータの必要性を説き、導入に大きな役割を果たしたのが橋本氏であり、その卓見はその後の幾多の発明とともに賞賛に値するものである。

十字ブロックの誕生

橋本工法の萌芽

橋本氏は、橋本工法と名づけられるほど多くの発明をしているが、それら発明のそもそもの始まりは、昭和22年6月、黒部川で起きた通称親子災害がきっかけだといわれている。

橋本氏は、このころ黒部川や常願寺川のような急流河川の土石流には、従来の木工沈床では不十分で、コンクリートにすべきだと考えていた。
そしてこの洪水の検証から、長さ30mの巨大コンクリート水制による実験が行われ、これを機に護岸の根固は従来の木製からコンクリート製へと大きく転換し、コンクリートブロックの開発が本格化した。

十字ブロック誕生

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昭和24年にタワーエキスカベータが動き始めてから、次の課題として根固ブロックの開発が始まり、昭和25年から27年は、橋本工法の搖籃期とも呼べる程、各種ブロックが考案され、施工されていった。H型、Y型、ローラー型等の試行錯誤を経た後、十字ブロックへと結実していくのである。

ブロックの開発にあたっては、橋本氏が所長室のデスクで紙くずをブロックにみたてて案を出し、それを工作出張所で模型化し、次々と現場に施工していった。
最初に手がけた根固ブロックはH型、Y型であった。しかし、H型は据えつけにあたって、水平方向にピンをさすことに苦労があった。Y型は強度の面で不十分な上に、スムースな沈下に問題があった。そこで、施工が楽でしかも沈下が確実で効果の高いもの、ということで改良に改良を加えて考えだされたのが十字ブロックである。
型の改良に加え、十字ブロックでは、型枠づくりも工夫により簡便化された。十字ブロックがその後最も広く使われるようになった理由はそのあたりにもある。

コンクリートブロックの役割

木工からコンクリートへの転換の推進者であった橋本氏だが、むやみに強いブロックをつくろうとしていたわけではない。むしろある目的を果たしたらブロックは壊れてもいいという考え方であった。そしてつくりっぱなしでなく、その後の観察に細心の注意を払っていた。
ブロックコンクリート化は、単に強度だけの問題ではなかった。木工だと山の中の石の多いところでは弾力性があって割に強い。しかしいったん水が退いて木が乾いてしまうと弱くなる、緩流河川では年中水に浸かっているのでよいが、急流河川のように乾湿が繰り返される所では、やはりコンクリートの方が確実なのである。
また、型枠づくりにも変化がみられた。木工型枠の場合、その都度消耗品が出て不経済。これが鉄なら木工が3~4回しか使えないのに対して、よく手入れすれば30回くらいは使える。木工だと大工仕事だが、鉄なら一般の土工でできるため労賃が安く、総合的にみて鉄の方が経済的であり、こちらに移行していった。