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とやま県で起きたしぜんさいがい
年表
とやまけんでおきたしぜんさいがい ねんぴょう
天正(てんしょう) 8年 1580年 |
常願寺川(じょうがんじがわ)のこうずいでとやまじょうがしんすい、人馬のでき死 多すう |
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天正(てんしょう)13年 1586年 |
天正(てんしょう)の大じしん、きぼM7.8、福岡町(ふくおかまち)のきふねじょうがほうかい |
安政(あんせい)5年 1858年 |
あんせいの大じしん、きぼM7.0~7.1、とやまじょうの石がき、門などがはそん、常願寺川(じょうがんじがわ)上流の大とんび山、小とんび山の山くずれ、その後、二度の土石流で下流いき いったいに大きなひがい、死者140名、ふしょうしゃ8,945名 |
明治(めいじ ) 24年 1891年 |
県下 かく地で大出水、特に神通川(じんづうがわ)流いきでひがい多く、死者16名、かおく流しつ30戸、かおくしん水7,596戸 |
明治(めいじ)29年 1896年 |
黒部川、神通川、庄川(しょうがわ)で出水、死者2名、ふしょうしゃ3名、かおく流しつ283戸、かおくしん水17,472戸 ~明治(めいじ)年間、主なこうずいひがい52回 |
大正 3年 1914年 |
県中部でごう雨ひがい、死者ゆくえふめいしゃ115名、かおくしん水15,267戸 |
昭和 9年 1934年 |
県ぜんいきの大小のかせんがはんらんし大きなひがい、死者ゆくえふめいしゃ31名、ふしょうしゃ309名、かおく流しつ78戸、かおくしん水9,958戸 |
昭和27年 1952年 |
県東部でごう雨ひがい、黒部川、片貝川(かたがいがわ)がはんらん、死者ゆくえふめいしゃ12名、ふしょうしゃ91名、じゅうかひがい109戸、かおくしん水16,619戸 |
昭和38年 1963年 |
38ごう雪、富山市(とやまし)さいだい雪しん186cm、るいけいこう雪568cm、死者ゆくえふめいしゃ16名、ふしょうしゃ39名、じゅうかひがい187戸 |
昭和39年 1964年 |
氷見市(ひみし)胡桃(くるみ)ちくで地すべりさいがいはっせい、じゅうかひがい87戸 |
昭和44年 1969年 |
県東部でごう雨ひがい、県東部の大小かせんでこうずい、死者ゆくえふめいしゃ6名、ふしょうしゃ24名、じゅうかひがい263戸、じゅうかしん水9,602戸 神通川の出水により国道8号のとやま大橋の橋きゃくちんか |
昭和56年 1981年 |
56ごう雪、富山市(とやまし)さいだいせき雪しん160cm、るいけいこう雪しん719cm、死者22名、ふしょうしゃ1,167名、じゅうかひがい1,211戸 |
昭和58年 1983年 |
小矢部市(おやべし)内山(うちやま)ちくで地すべりさいがいはっせい(長さ1km、はば1.2km)、国道359号がやく2kmにわたってほうかいし ふつう |
昭和59年 1984年 |
59ごう雪、富山市(とやまし)さいだいせき雪しん122cm、るいけいこう雪しん692cm、死者21名、ふしょうしゃ87名、じゅうかひがい4戸 |
平成(へいせい)10年 1998年 |
県下ぜんいきでごう雨ひがい~昭和44年いらいのきぼ、じゅうかしん水1,028戸 |
■さんこうしりょう
- 「六十年のあゆみ」平成(へいせい)11年4月 富山県土木部(とやまけんどぼくぶ)
- 「富山県地域防災計画 震災編(とやまけんちいきぼうさいけいかく しんさいへん)」 平成(へいせい)8年6月しゅうせい 富山県防災会議(とやまけんぼうさいかいぎ)
- 「富山県地域防災計画 資料編(とやまけんちいきぼうさいけいかく しりょうへん)」 平成(へいせい)15年1月しゅうせい 富山県防災会議(とやまけんぼうさいかいぎ)
- 「北陸(ほくりく)の雪2000」 平成12年12月 社団法人(しゃだんほうじん) 雪センター
- 「常願寺川(じょうがんじがわ)の上流をたずねて」 国土交通省(こくどこうつうしょう)北陸地方整備局(ほくりくちほうせいびきょく)立山砂防工事事務所(たてやまさぼうこうじじむしょ)
安政(あんせい)の大じしん
安政(あんせい)5年(1858年)4月9日(きゅうれき2月26日)の真夜中(まよなか)に、越中(えっちゅう)(今のとやま県)から飛騨(ひだ)(今のぎふ県)にかけて、おおくの地いきで大きなじしんが起きました。このじしんで立山の大とんび、小とんびという二つの山がくずれました。このどしゃが川の流れをせき止めていましたが、しばらくして2回もくずれ、土石流となって常願寺川(じょうがんじがわ)をいっきに流れていきました。この土石流(どせきりゅう)は、およそ1,600戸の家をおし流し、140名もの大切な命をうばいました。
常願寺川(じょうがんじがわ)の近くにはちょっけい4~7mの大きな岩がいくつもあります。これは昔のこうずいや土石流が運んできた岩だと考えられています。
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安政の大じしん
立山砂防事務所(たてやまさぼうじむしょ)/常願寺川(じょうがんじがわ)のさいがい
おそるべきしぜんのパワー
常願寺川(じょうがんじがわ)の近くにはちょっけい4~7mの大きな岩がいくつもあります。これは昔のこうずいや土石流が運んできた岩だと考えられています。

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大転石(だいてんせき)
立山砂防事務所(たてやまさぼうじむしょ)/常願寺川(じょうがんじがわ)たんけんブック/大場(おおば)の大転石
水がい
昭和(しょうわ)44年の水がい
昭和44年(1969年)8月10日から11日にかけて、北陸地方(ほくりくちほう)にていたいしたばい雨ぜんせんは、常願寺川(じょうがんじがわ)・黒部川流いきの山がくちたいで500mmをこえるごう雨となり、これによりとやま県東部では、ていぼうがやぶれ、家や橋をこわすなどの大こうずいになり、大きなひがいとなりました。
昭和44年の水がい ひがいじょうきょう
死者・ゆくえふめいしゃ | 6名 |
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ふしょうしゃ | 24名 |
じゅうかひがい(ぜんかい・はんかい・いちぶはそん) | 263戸 |
ゆか上・ゆか下しん水 | 9,602戸 |
■さんこうしりょう
富山県地域防災計画 資料編(とやまけんちいきぼうさいけいかく しりょうへん)
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立山砂防事務所(たてやまさぼうじむしょ)/常願寺川(じょうがんじがわ)のさいがい > 昭和44年の災害(さいがい)
昭和38年のごう雪
昭和38年のごう雪
昭和37年(1962年)のねんまつから昭和38年1月にかけて、ほくりくちほうは50年に一度といわれる大雪がふりました。とやま県ではとくに1月中じゅんからひどいふぶきの日がつづきました。毎年50cmぐらいのせき雪だったのが、富山市(とやまし)で186cm、高岡市(たかおかし)で225cmもの雪がつもりました。大雪で鉄道が止まったり、そのために物を運ぶことができなくて人々をこまらせました。
昭和56年や59年のごう雪
昭和56年や、59年も大雪でした。
昭和38年 | 昭和56年 | 昭和59年 | |
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死者・ゆくえふめいしゃ | 6名 | 22名 | 21名 |
ふしょうしゃ | 24名 | 1,167名 | 87名 |
じゅうかひがい(ぜんかい・はんかい・いちぶはそん) | 187戸 | 1,211戸 | 4戸 |
■さんこうしりょう
「北陸(ほくりく)の雪2000」 平成(へいせい)12年12月 社団法人(しゃだんほうじん)雪センター
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昭和38年や昭和56年、昭和59年のごう雪