新潟バイパス50周年記念

半世紀のあゆみ

新潟バイパスの誕生

鉄道中心から自動車中心の交通体系へ

 戦後まで鉄道中心の交通体系だった日本は、都市部以外の国道整備が進んでいませんでした。
 昭和30年代に入ると全国的な自家用乗用車の普及・拡大が進み、昭和38年には工業港となる  新潟東港の建設工事が開始され、翌年、この周辺地区が地方都市の開発拠点となる「新産業都市」に指定されました。
 このような状況から、新潟市と郊外を結ぶ交通が急増し、この課題をどのように対処するかが、「新産業都市」の成否のカギになると考えられました。

昭和40年代の萬代橋の混雑状況

図 昭和40年代の萬代橋の混雑状況

昭和40年代の国道7号沼垂三ノ町

図 昭和40年代の国道7号沼垂三ノ町
(最も混雑した地点)

2つの“機能”を併せ持つ計画

 新潟バイパスは、昭和38年に建設省北陸地方建設局内にて設立された勉強会で基本構想の検討を開始しました。
 勉強会では当時、終点が新潟市(現:黒埼IC付近)であった国土幹線ネットワーク構想※を、さらに北へ延ばすべきと考え、新潟バイパスは一般的な「バイパス本来の機能」に加え、「国土幹線ネットワーク構想に準じるような機能」の2つを併せ持つ計画とすべきとの方向となりました。
※高速道路を主体に国土の幹線ネットワークを構成するもの

勉強会で検討された新潟パイパスの機能

図 勉強会で検討された新潟パイパスの機能

ルートは紫鳥線と鳥屋野潟の間を選定

 新潟バイパスの通過ルートは、当時、新潟市の市街化区域が紫鳥線の南側の紫竹山砂丘沿いまで拡大すると見込まれていたことや、仮に鳥屋野潟より南側とした場合、バイパスから中心市街地へのアクセスが長く新たな道路が必要となるとの議論に基づき決定されています。
 しかし、ルートの大部分を占める砂丘間低地は、新潟地震による液状化現象によって大きな被害を受けており、工事の施工は軟弱地盤対策が最重要課題でした。

新潟バイパスの選定ルート

図 新潟バイパスの選定ルート

先見性をもった高規格バイパス

 大量の自動車交通を安全・円滑に処理するため、アメリカのフリーウェイや当時の最新文献等を参考に、「通過する交通」と「地域内の交通」を分ける立体構造・インターチェンジ型式で、沿道利用のための側道を設置することにしました。
 当時の建設省道路局では、国道バイパスは平面構造を原則としていたため、「新潟にこれほど高規格な道路は必要ない」といった議論が噴出し、道路構造令に規定の無い部分など多くの課題がありましたが、先見性をもった説得を粘り強く行った結果、新潟バイパス構想は認められました。

側道付の新潟バイパス4車線計画断面

図 「勉強会」で設計した側道付の新潟バイパス4車線計画断面

4車線から6車線計画へ

 その後、昭和41年度の将来交通量推定調査で、20年後の日交通量が最大9万5千台となることが予想されたことや亀田バイパス等の新たな道路網計画を踏まえ、激増する交通に対処するため6車線に変更しました。

軟弱地盤の対策

 軟弱地盤対策として、盛土の重さで地盤の圧縮を進める工法が採用されましたが、新潟バイパスに必要な全盛土量は、約173万㎥で、新潟県庁の約10杯分に相当する量でした。
 そこで、盛土材は「関屋分水路事業」 と 「新潟東港整備事業」 の開削土砂を利用することにし、事業費縮減に大きく貢献しました。

河川と港湾の開削土砂を活用した新潟バイパスの盛土

図 河川と港湾の開削土砂を活用した新潟バイパスの盛土

50年の変遷

1970年代(昭和45年~昭和54年)

 昭和45年12月1日、紫竹山IC~海老ヶ瀬IC間の暫定2車線供用で、初めて開通しました。また、昭和48年には、高速道路と接続されました。その後も順次整備が進み、新潟バイパスの骨格が形成されていきました。

1970年代の整備進展

図 1970年代(昭和45年~昭和54年)の整備進展

紫竹山IC~竹尾IC

図 紫竹山IC~竹尾IC(S45)

工事が進む新潟大橋

図 工事が進む新潟大橋(S50)

1980年代(昭和55年~平成元年)

 その後も整備が進み、昭和60年には全線6車線で供用されました。

1980年代の整備進展

図 1980年代(昭和55年~平成元年)の整備進展

図 新潟西バイパスの当時の状況(S60)

図 暫定2車線供用の脇で6車線化を急ぐ(S52)
(場所:海老ケ瀬IC方面から竹尾IC方面を望む)

1990年代~現在(平成2年~令和2年)

 平成14年には、FIFAワールドカップ2002に向けて、市道弁天線との交差部に歩道ボックス を新設し、平成17年に弁天IC、平成24年に逢谷内ICと、2つのハーフICが供用されました。
 また、平成23年には制限速度が70km/hに引き上げられました。

1990年代~現在の整備進展

図 1990年代~現在の整備進展

市道弁天線に新設した歩道ボックス

図 市道弁天線に新設した歩道ボックス