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なるほど信濃川

大河津分水路

分水路吐口の山地附近の掘削機作動中

分水路吐口の山地附近の掘削機作動中

手で掘って積み込んでトロ運搬する人達一日働いて男は42銭女は28銭

手で掘って積み込んでトロ運搬する人達
一日働いて男は42銭女は28銭

自在堰の陥没(S2.6)

自在堰の陥没(S2.6)

信濃川補修工事竣工記念碑碑文完成当時、内務省新潟土木出張所長であった青山士による。

信濃川補修工事竣工記念碑碑文完成当時、内務省新潟土木出張所長であった青山士による。

大河津分水開削前の湛水田

大河津分水開削前の湛水田

大河津分水路は、越後平野を水害から守るために、当時の土木技術を駆使して建設された河川です。
分水路は、洪水時には上流からの洪水を可動堰から全て日本海に流しています。
また平常時には新潟方面へ生活用水やかんがい用水として必要な水量(毎秒270立方メートル)を流しています。

分水路完成までの歴史は長く、亨保年間に寺泊の本間屋の数右衛門らの幕府への請願を発端に、その後200年あまり繰り返された請願がついに認められ、明治42年に本格的な工事が始められました。工事が始まってからも、大規模な地すべりや自在堰(現在の可動堰)の陥没等の困難を乗り越え、22年間の歳月をかけて昭和6年に完成しました。

大河津分水路が完成したことにより、越後平野は水害の減少など治水上の安全度が格段に上昇し、新幹線や高速道路の開通もあり大きな発展を遂げました。 このため、大河津分水路は、洗堰上流右岸が破提した場合に氾濫被害の及ぶ面積が310平方キロメートル、戸数は約5万3千戸、被害額は約3.4兆円に達するものとなっており、大河津分水路の重要性は非常に高いものとなっています。

しかし、大河津分水路は完成して半世紀以上が過ぎたこともあり、施設の老朽化も目立つようになってきました。 昭和57年9月の洪水では、洗堰右岸の取付橋台及び護岸から漏水が発生し、堰の倒壊の恐れがあったため、平成4年に洗堰の全面改築に着手し、平成12年から通水を開始しました。 また、平成15年度から可動堰の全面改築に着手しています。

時代と共に大河津分水路より上流の河川改修が進んでおり、相対的に大河津分水路の洪水処理能力が不足した状況となっています。 河口部においては第二床固を中心に河床洗堀が発生しており、副堰提の設置や深掘れ箇所にブロック投入を行ってきましたが、恒久的な改修となっていません。
このため、越後平野のさらなる発展のためにも大河津分水路の抜本的な改修が必要となっています。

川をのぼる魚(サケ)が見れる魚道観察室

川をのぼる魚(サケ)が見れる魚道観察室

新洗堰

新洗堰

越後平野に伸びる高速道と新幹線

越後平野に伸びる高速道と新幹線

洗堰右岸取付橋台及び護岸部漏水状況

洗堰右岸取付橋台及び護岸部漏水状況
(S57.9)

洪水時の状態

●洪水時の状態
越後平野が洪水時は、洗堰を閉じて、全量を分水へと流し、下流域を洪水から守る操作を行っています。

普段の状態

●普段の状態
洗堰から下流域へ水田・生活・工場などに必要な毎秒270 立方メートルの水流を流します。必要以上の水は可動堰から分水へ流しています。

大河津分水が無かった場合の氾濫区域(S.57.9洪水)

大河津分水が無かった場合の氾濫区域(S.57.9洪水)


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