コンテンツ

阿賀川について

阿賀川の歴史-戦国から近世-

幻の湖 山崎湖

慶長16年(1611年)、この地方に大地震があった。この大地震により会津盆地下流で山崩れが起こり、阿賀川出口が塞がれ山崎湖が出現した。この山崎湖の水抜き工事には大変苦労したようである。山崎湖出現から半世紀経過し保科氏の時代に変わってから、何とかこの水抜き工事に成功し、この山崎湖がなくなったという。

山崎湖の出現

新田の開発

先の「暴れ川 阿賀川」でも説明したように戦国時代の頃、阿賀川本川が今の鶴沼川を流れていたことがあったが、再び現在の流路に戻ったことがある。このとき、かつての流路跡は次々と新田として開発されたという。

現在、鶴沼川沿いの地域で「~新田」という名前がたくさんあるが、このときのなごりである。

新田開発された阿賀川の流域跡

阿賀川の舟運

江戸時代~明治初期までの間、全国的に河川舟運で大量の荷物を運ぶようになった。阿賀川では下流の新潟、大阪までの航路、ほとんど陸路であるが猪苗代湖上の舟運が発達した。行きの会津からは、米や薪炭等を運び、帰りに塩を中心に綿布、古手細物、太物、海産物等生活必需品を運んできた。

明治の頃の阿賀川舟運
上に戻る