サイトマップ   お役立ちリンク集
ウェブ検索 サイト内検索
ぶり・ノーベル出世街道
ぶり・ノーベル出世街道とは?
昔のぶり街道
ゆかりのあるノーベル賞受賞者
地域・イベント情報
民族芸能
イベント
歴史・文化
自然環境
観光拠点施設
郷土食
トップページ
トップページ > 昔のぶり街道
ぶり・ノーベル出世街道
昔のぶり街道
現在の国道41号は昔、飛騨街道とも飛越街道とも呼ばれ、尾張(愛知県)から美濃・岐阜(岐阜県)を経て高山に到る街道とも繋がり、太平洋側と日本海側を結びさまざまな物資が行き交った重要な街道でした。
江戸時代には神通峡の右岸から東猪谷を通る東道と、神通峡の左岸から西猪谷に至る西道があり、富山からどちらも高山まで約90km、3日程度の時間がかかりました。
昔のぶり街道マップ拡大して見る
富山湾で捕れるブリは、古来、越中ブリとして全国にその名を知られた最高級ブランドです。この越中ブリは岩瀬などで水揚げされてから高山に入るまで時間がかかったので、塩をすり込んだ「塩ブリ」として、高山では飛騨ブリと名前をかえ松本から信州の広い地域に運ばれていました。
飛騨地方では、このブリを正月の縁起物とする習慣があり、また、お歳暮、お祝い品などとして貴重品扱いされていました。
このような高級品の「越中ブリ」が大量に運ばれていた飛騨街道は、かつて「ブリ街道」と呼ばれていました。
地図
●尾州岡船の模型
[奈川村歴史民俗資料館所蔵]
拡大して見る
●籠の渡し(「富山藩三方絵巻」伝木村立嶽筆[富山市郷土博物館所蔵])
拡大して見る
●越中東街道(「越中東街道画巻」大森旭亭筆[洞雲寺所蔵])
ぶり・ノーベル街道とは?
ゆかりのあるノーベル賞受賞者
お問い合わせ リンク・著作権・免責事項 個人情報の取り扱いについて 飛越交流ぶり・ノーベル出世街道推進協議会