ほくりく学ぶくん通信
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過去、現在、未来・・・信濃川流域のすべてが学べます
 分水町大河津から日本海・寺泊海岸までの10kmに及ぶ大河津分水は、越後平野を流れる信濃川の氾濫を防ぐことを目的につくられました。その機能は、大河津分水と信濃川との分岐点に設けられた信濃川側の洗堰を閉じることで、洪水の大半を大河津分水により日本海へ流してやるものです。
 越後平野で生活を営む人々にとって、大河津分水の存在とその意義は計り知れないものがあります。太古から洪水で苦しめられてきた流域の歴史は、江戸時代の人々を大河津分水建設へと駆り立てました。明治期に始まった建設は、最新の土木技術を駆使して取り入れたものの、難工事の連続でした。
 しかし完成後、「東洋のパナマ運河」とも呼ばれた大河津分水は、越後平野から洪水をなくしました。それまで広がっていた湿田は乾田に変わり、越後平野は穀倉地帯となりました。湿地帯が減少したことで、新幹線や高速道路、国道などの交通網が整備され、地域の発展を支えました。また、大洪水がなくなったため信濃川の埋め立ても可能となり、新潟市の都市基盤が充実しました。
 このように大河津分水の見所は、その機能だけではありません。越後平野や信濃川の歴史、人々の暮らし、産業や経済、都市づくりなど、大河津分水は地域の成り立ちすべてを物語ることができる、新潟を代表する社会資本なのです。
 
国土交通省北陸地方整備局