現在の高田城跡公園は、築城前は菩提ヶ原(墓地)で、東側に関川、西側に矢代川が流れ、菩提ヶ原の北で両河川が合流していました。
 築城にあたり、関川、儀明川、青田川の流路を切り替え、城の外掘として利用しました。(1614年)