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関川の改修は古くから行われ、17世紀始めの高田城築城の際の関川、青田川、儀明川の流路を切り替え、城の堀として利用したことに始まります。
17世紀後半には、港として利用されていた関川河口の流量を増加させて河口閉塞を防止し、舟運を円滑化させるために、直接日本海に流れ込んでいた保倉川を切り替えて関川に合流させる工事が実施され、現在の関川の原形が形成されました。
近年では、直江津・高田地区などの洪水被害を防ぐために、局部的な改修が行われ、明治30年8月、同31年9月の洪水による災害復旧を契機として行われた改修の結果、大正9年頃には現在の堤防の原型が形成されました。
昭和44年には、一級河川指定に伴い、直轄事業として改修に着手しましたが、昭和57年9月洪水において関川沿川では甚大な被害が発生し、昭和60年洪水では保倉川沿川で被害が大きかったため、それぞれ激甚災害対策特別緊急事業により改修が実施されました。
最近では、平成7年7月に既往最大規模の洪水が発生し、関川上流部では破堤、保倉川沿川では内水による甚大な被害が発生しました。このため、新潟県・長野県によって関川災害復旧助成事業及び、保倉川・戸野目川激甚災害対策特別緊急事業が行われ、直轄管理区間においてもこれらの事業と整合を図る改修事業を実施しています。 |
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