→① 当時、富山県知事が「神通川で洪水が何度も発生するのは、上流にある山が崩れやすく、しかも堤防が弱いのが原因である。神通川の水害を防ぐには、上流にある崩れやすい山に対して砂防工事を行う必要がある。従って神通川の治水対策を一貫して行うために、岐阜県の吉城郡と大野郡(現在の飛騨地方の大部分)を富山県に編入する必要がある」と言って富山県と岐阜県の飛騨地方の合併を提案し、この提案がなんと大正3年11月の富山県通常県会(当時の県議会)で可決された。
→② これに対して、地元の人たちは「富山県は治水対策で借金が多い。富山県に編入されれば、その借金を背負わされるだけで、飛騨の人にとって何も良い事はない」と猛反発し、飛騨地方の富山県への編入を阻止した。