六郎谷奥飛騨の砂防チェック!-⑮

→① 当時、富山県知事が「神通川で洪水が何度も発生するのは、上流にある山が崩れやすく、しかも堤防が弱いのが原因である。神通川の水害を防ぐには、上流にある崩れやすい山に対して砂防工事を行う必要がある。従って神通川の治水対策を一貫して行うために、岐阜県の吉城郡と大野郡(現在の飛騨地方の大部分)を富山県に編入する必要がある」と言って富山県と岐阜県の飛騨地方の合併を提案し、この提案がなんと大正3年11月の富山県通常県会(当時の県議会)で可決された。

→② これに対して、地元の人たちは「富山県は治水対策で借金が多い。富山県に編入されれば、その借金を背負わされるだけで、飛騨の人にとって何も良い事はない」と猛反発し、飛騨地方の富山県への編入を阻止した。

  • 六郎谷の砂防施設は、古い砂防施設で文化的な価値も高いことから、文化財としての登録が検討されている。
【参考】周辺のワンポイント解説
  • 神岡は鉱山の町として発展してきた。
  • 神岡鉱山の歴史は古く、養老年間(717~724:奈良時代)に黄金を産出し、天皇に献じたという言い伝えもある。
  • その後、天正年間(16世紀末)に糸屋彦次郎(後の茂住宗貞)が金山奉行として茂住坑を開発した。
  • 江戸時代に入ってからは幕府の代官直轄の鉱山になったり、民間の山師によって採掘が続けられ、明治7(1874)年に三井組が栃洞坑を買収して鉱山の経営に着手、以後、昭和25年に三井鉱山金属部門が独立し、27年には三井金属鉱業(株)に社名を変更。昭和61年には神岡鉱業所が独立して神岡鉱業(株)となる。