→ 何故そうなったのかというと、昔、飛騨地方では現在の焼岳を「硫黄山」と言っていたので、当時の測量部員がそれに従って地図を作った。ところが信州の呼び名はその反対で、昭和に入って上高地へ来る登山者が多くなり、上高地に訪れる登山客に信州の案内人が高い方の山を焼岳と説明することが多くなったため、現在のような呼び方になっていった。