上宝村・奥飛騨温泉郷奥飛騨の砂防チェック!-①

→③ ちなみに、この山津波のことを地元では「ダシ」と呼ぶ。

→④ 今でも災害遺構や砂防施設として、温泉郷のあちこちにその跡を見ることができる。

  • 平湯温泉や新穂高温泉の一部(蒲田温泉、槍見温泉)を除いて、温泉旅館が始まったのは昭和30~40年代と比較的新しく、だいたい昭和45年頃までに現在の温泉郷が形作られた。それまでは、奥飛騨の人は農業の傍ら砂防工事の現場仕事に従事していた。

→① 今はそうした砂防工事のおかげで、観光客が安全に泊まって、温泉や北アルプスの自然を楽しめるようになっている(温かく、安全にお客さんをお迎えする温泉郷である)。

→② 昭和29年に神通川水系砂防事務所ができた時は、年度の途中であったため予算がなく、全国各地の砂防事務所から事業費を削って手当てをした。 そのため、事業費を削られた各事務所の人たちが談判のために奥飛騨へやってきたが、この地のありさまを見て逆に「奥飛騨こそ本当に砂防事業が必要だ!」と納得して帰っていったという。

→③ 上宝村の前の前(2代前)の村長は、奥飛騨での砂防事業の予算を確保しようとして、当時の建設省砂防課に毎年出向いては「奥飛騨の砂防事業の良さ名を何とか1億円にしてください」と陳情するので、そのうち本省の砂防課の人たちは、村長が行くと、名前は知らないけれど「1億円が来た!」と言うようになったという。