飯豊山系(荒川流域)
直轄砂防記念事業について

 1967(昭和42)年8月28日から29日にかけてこの地域に災いをもたらした集中豪雨。各地の山間部では山肌が崩れ落ち、土石流や鉄砲水となってふもとの町や村を襲いました。堤防が決壊して河川が氾濫し、土石流災害としては類を見ないほど多くの死者・行方不明者が出る大災害となりました。

 この「羽越水害」が契機となり、1969(昭和44)年から一級水系荒川流域における直轄砂防事業の取り組みを始めました。

 「土砂災害の再発を防止」、「安心して住める地域づくり」のためにスタートした砂防事業は、羽越水害からの復旧をはじめとして今日まで管内流域に多数の施設を手がけてきました。

 その施設整備の目的は、直轄砂防事業として着手した「災害からの復旧」の意味合いから、次第に「水系砂防としての事業」へと移り、現在は自然環境や渓流環境をふまえた「地域の活性化へつながる新たな砂防事業」へと変遷してきています。

 一方、近年、局地的豪雨によって全国各地で土砂災害が多発し、大規模化の様相を呈しており、ハード対策はもとより、警戒避難などのソフト対策が従前にもまして重要となっています。

 一級水系荒川流域で現在も脈々と砂防事業を実施してきている中において、今一度、これまでの歩みを振り返るととともに、土砂災害の恐ろしさ、命を守る行動の難しさを認識し、土砂災害対策の大切さを地域とともに考えることを目的に記念事業を実施します。

飯豊山系(荒川流域) 直轄砂防記念事業 コンセプト」

砂防事業に対するより一層の理解 土砂災害対策を地域とともに考える
砂防と地域づくり人づくりを振り返る 節目となる今関係者が協力

羽越水害の被害

記念事業TOPへ戻る