羽越水害40周年記念
羽越水害の実情
小国町
40年前の8月28日 豪雨で土砂と流木による被害が起きました。
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記録的な集中豪雨により上流で山崩れが発生し、大量の倒木が水と一緒になって流れくだり、小国橋に堆積しました。/小国小坂町(横川)
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豪雨による洪水で横川筋の堤防がつぎつぎに決壊し、氾濫した川により町の中心部にあった沢山の農地が流され、また、土砂が堆積しました。
関川村
土石流が発生しました。大量の雨と土砂により堤防が流失しました。
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湯蔵川上流の谷や山の斜面から崩れた土や石が、濁流とともに一気に押寄せ、温泉街の建物の一階部分や道路が大量の土砂で埋まりました。
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荒川、大石川の堤防が決壊し、道路が水没、橋の橋脚部が削り取られた川口橋。写真左の六本杉地区はふたつの川の洪水で、集落が跡形もなく流されました。
新潟県・長野県 福島県・山形県
胎内市(旧黒川村)
そして平穏な日々が消えました。まだ砂防施設がない時代でした。
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上流の山崩れによる土石流により、一瞬にして巨大な岩や泥土に押しつぶされた民家。逃げる間もなく、たくさんの尊い命が犠牲になりました。
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上流の山崩れによる土石流により、下荒沢の川筋にある民家は、土石流とともに流れてきた流木や石で埋まってしまいました。
新潟県・長野県 福島県・山形県
伝えたい40年前の記憶
当時私は21才でした。あの日はとにかく凄い雨で、集落の人たちは明るいうちに高台のお寺に避難していました。消防の人が全集落民を避難させておいてくれたから助かりました。集落で一人も犠牲者が出なかったのは、避難が早かったからでしょうね。
湯蔵川が一番早く水が出たんですけど、夜の9時くらいに湯蔵川の水位が低くなっていて、直線にすると1,000mあるかないかくらいのところで山崩れが発生し、川をせき止めていたようです。米坂線も、もう夜には不通になっていました。午前0時から1時頃、山崩れによってできたダムが破れ、水が一度にゴーッと来ました。その後、水が澄んでから少しずつサラサラと細かい土砂が流れてきて、一日で集落が埋まっていったんです。いくら掘っても、低いところ低いところへ土砂が入っていく。土砂の撤去も大変で、ブルドーザーとダンプで出しました。
これからは体の不自由な人の避難のことも考えなければならないと思います。
関川村 湯沢地区
須貝 謙一
当日は一日中雨が降っていて、一番降ったのは夕方5時頃。バケツをまかしたような降り方で、土石流が発生し、庭石みたいな大きい石がゴロゴロと流れてくる音が聞こえました。小長谷の山は石山だから、昔から石が多いんです。村の上の方に竹薮があるんですけど、その土側溝が分かれたような塩梅になって、濁流が村の中にザーッと流れ込み、3、4軒くらい流されました。
この集落は18軒ありますが、被害がなかったのは4軒くらい。あとは、家の中に石が入ったり、木の根っこが流れてきたり。夜の9時くらいに鉄砲水がダーッと来て、水かさが一気に上がって、その後一気に引きました。濁流は1回だけではありません。だんだんと緩くなっていったようです。集落の中を水が流れたので、一面湖のようになり、広くてもどこへも避難できなかった。ダムは必要だけど、雨が降ったら逃げることも大切ですね。
小長谷地区のみなさん
夜の10時くらいに鉄砲水が来て、大木が溝足川をせき止めたために、道路が川になって村の真ん中を流れたんです。水が1回引いたんですが、山の所に土砂のかたまりができ、それが破れたようです。当時は避難場所が何カ所かあって、集落の人も高台にある天満宮に行きました。
みんな台所が水浸しになってごはんを炊くところがない。当時、高場にあった区長さんのところで炊き出しをして、道路が川の底になったので手前にはしごを一つ架け、また向こうの方へ架けて、それで竹竿の先にごはんを吊して、ごはんの足りない人たちに渡したんです。羽越水害は42年だったけど、41年にも水害があったので、張ったロープを伝って逃げる訓練を消防が行っていました。護岸ブロックが川に整備されたり、砂防えん堤ができて安心していますが、いざという時のための備えや訓練が必要だと思います。
新発田市 溝足地区
前田 稔
当時、私は役場職員で南部連絡所に勤めていました。当日はかなりの大雨で、県道の木橋が半分ほど落橋したと記憶しています。一番困ったのは通信手段が全然なくなったことで、玉川の旅館にあった電話が唯一使え、役場との連絡に使わせてもらって対応に当たりました。3日目に横根山の峰道を越えて小国へ向かったのですが、頂上から小国の町を眺めて唖然としました。一面泥の海だったからです。役場に来てみたら役場内も泥の海で、これは大変だと思った記憶があります。
9月2日に初めてヘリコプターで玉川小学校のグラウンドに予防薬品が、そして翌3日に救援物資の第1便が来ました。10月末まで、十数回の支援があったと思います。この地区は家屋被害が少なかったので、衣類などは不足しませんでした。国道の橋の復旧は簡単にはできないので、百子沢峠をまずブルドーザーで応急に掘削し、10月末頃にようやく小型車が通れるようになったことを記憶しています。
小国町 玉川新田地区
佐藤 實