阿賀野川の歴史
治水の歴史
松ヶ崎港実測図(明治15年)
『新潟県北蒲原郡松ヶ崎港修築の儀起こるや、明治15年4月に松ヶ崎港実測に着手し、同年11月に至り、松ヶ崎港の広狭・高低・断面・深浅等、測量悉く皆落成す。』、当事務所発行の阿賀野川史に記載のある測量実測図である。
修築事業とは、舟運確保のために明治29年の河川法成立以前から行われていた事業であり、その内容は低水工事と河道を維持するための上流砂防工事である。その最初は明治8年の淀川であり、阿賀野川では明治15年から舟運路の確保とともにスムーズな洪水疎通を図ることを目的として、低水路整備(河身改修)が国直轄で始められ、明治37 年度まで続けられた。新川第34号、35号はその低水路整備の計画図である。
本図の深浅測量は、甲図では阿賀野川及び河口、乙図では阿賀野川から信濃川までの範囲である。