2022年、大河津分水は通水から100周年を迎えます。
古くは江戸時代から200年の間、水害に悩む越後平野の人々にとって、水害から逃れるための切り札として、大河津分水は熱望されていました。何度も繰り返された請願は、膨大な費用と高度な技術を要する事などから、ことごとく不許可とされていたのでした。
この悲願が実現したのは明治42年(1909年)。この年から大河津分水工事は、政府の直轄工事として本格的に始められました。15年の歳月と述べ1,000万人の人出を費やして、通水したのが大正11年(1922年)のことです。当時、「東洋のパナマ運河」とも呼ばれた大事業でした。
それ以来、100年間にわたって大河津分水は信濃川の洪水を海に流し続け、越後平野を水害から守ってきたのです。ここに、100年を迎える機会として、信濃川の豊かな恵みに感謝し、先人の偉業を讃えると共に、大河津分水が地域の皆様により深く理解され、未来につながることを願って、『大河津分水通水100周年記念事業』を行うこととします。
関係市町村長等が委員となる「大河津分水通水100周年・関屋分水通水50周年記念未来につながる事業実行委員会」を、大河津分水の通水から99年目になる令和3年8月25日に設立しました。各市町村長からは、今後の取り組み方針等について意見交換を頂き、事業案について承認いただきました。
8月25日に開催された実行委員会において、各市町村長から「信濃川の恵みへの感謝・川の未来 を考えることの大切さ」について色紙と合わせてメッセージを発信していただきました。
市町村長の熱い想いのこもった色紙は信濃川大河津資料館に掲示しています。
大河津分水通水100周年記念事業に際して、多くの方々に盛り上げてもらうために、誰もが使用できるロゴマークを制作しました。さまざまな場面で使用できるこのロゴマークは、長岡造形大学の協力を経て作成され、投票によって決定しました。