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■「横田切れ」とは?
泥海と化した越後平野
明治29(1896)年7月22日、横田(現在の燕市横田)の信濃川堤防が切れ、 あふれ出た水は越後平野の広い範囲を一面の泥海としました。 浸水は長期間にわたり、低い土地では11月になっても水に浸かったままで、 衛生状態の悪化に伴う伝染病が蔓延し、命を落とす人も出ました。

横田の堤防が決壊し濁流が流れ込む様子(長岡市下田氏所蔵)
横田切れから120年
横田切れは「古老さえも経験したことがない」と多くの資料に記されており、 被害総額は当時の新潟県の年間予算に匹敵する程になりました。 その横田切れから120年。大河津分水建設のきっかけにもなった大水害を紹介します。

堤防決壊の地に建つ石碑。裏面には横田切れの惨状が刻まれています。