白山砂防女性特派員

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  第8回
平成15年7月30日(水曜日)、31日(木曜日)

●手取川源流域調査(白山登山)


白山(砂防新道〜黒ボコ岩〜室堂〜御前峰山頂〜エコーライン〜砂防新道)


特派員参加人数 17名



 白山の主要登山道である「砂防新道」は、大正時代から昭和初期に白山での砂防工事の為に造られた路が、のちに登山道として利用されるようになったものです。
 今回の登山ではその砂防新道を歩きつつ、白山の自然や手取川源流域の状況、現在行われている砂防事業の様子を確認し、白山の自然と砂防の関係について、また登山者の目から見た砂防事業について考えてみたいと思います。

白山登山道マップ

 あいにくの小雨模様の中、午前10時に白山の登山口である「別当出合」にバスが着しました。準備運動と登山時の注意事項確認の後、白山砂防女性特派員メンバーで白山自然解説員の谷野さんを先頭に「砂防新道」にはいりました。特派員の中には今回が初めての登山となる人が6名おり、かなりゆっくりしたペースでの登山となりました。

登山前の準備運動 別当出合から出発 別当出合の吊り橋

登山道高架工事の様子

 休憩を挟みつつ約1時間登ると「中飯場」に到着しました。ここには、白山での砂防工事がすべて人力で行われていた頃、工事に必要な道具や食糧・寝具類が置かれ、工事を行う作業員が泊まる宿舎がありました。そのため「飯場」の名がついています。この辺りからは現在施工中の「柳谷砂防堰堤群」も見えますが、この時は谷筋が霧におおわれており、見ることができませんでした。

 また、ここは工事用道路(一般車両乗り入れ禁止)と登山道が交差しているのですが、登山者が工事用道路を横断する必要がなくなるよう、登山道を高架にする工事が行われていました。


 さらに1時間登り、12時30分頃「別当覗き」に到着しました。ここからは、別当谷と昭和9年7月の大雨で発生した大規模な崩壊の跡「別当大崩れ」が見えます。
 ここも霧がかかっていましたが、幸いにもわずかな晴れ間から別当谷砂防堰堤群と大崩れを見ることができました。別当谷砂防堰堤群の両岸斜面は緑でおおわれ、砂防堰堤の効果をはっきり確認できました。

別当大崩れ

 上り坂が延々と続き、みなかなり疲れてきていましたが、雨も止み、高山植物の花もちらほら見えはじめ、自然解説員の谷野さんの植物解説を耳を傾けつつ、ゆっくりしたペースで登山しました。


登山道での防災施設設置工事の様子

 このあたりから黒ボコ岩にかけての登山道では、金沢河川国道事務所による防災施設設置(光ファイバー等敷設)工事が行われており、ところどころで手作業による工事が行われていました。

 設置工事と共に登山道の整備もされるので、工事が終了したところは、崩れにくく歩きやすい登山道になっていました。

 作業員の方々はみな汗だくで、重機の入らない手作業での工事は見ているだけでも大変さが伝わってきました。


 昼食場所である甚之助谷避難小屋には14時頃到着しました。甚之助谷避難小屋のある場所は高飯場とも呼ばれ、中飯場と同じく白山砂防工事の拠点だったところです。

防災施設設置工事後の登山道の様子

 南竜分岐から黒ボコ岩の方へ進みました。この辺りからじょじょに霧が晴れ、青空がのぞき始めました。「十二曲がり」と呼ばれる、急峻な道に差しかかるとクルマユリやオタカラコウ、テガタチドリといった色鮮やかな高山植物が咲き乱れるお花畑に入り、それまでの疲れも吹き飛んでしまいました。


 途中、戦前に施工された地すべり工事の跡が見られました。地すべりの原因である地下水を取り除き地表へ排出していた排水溝はふさがれていましたが、土留めの石積みは崩れずに残っており、現在もその役目を立派に果たしていました。

昭和初期の地すべり工事跡

 15時45分、黒ボコ岩に到着しました。朝の雨模様がうそのように晴れ渡り、御前峰がくっきり見えました。眼下に雲海が見え、低いところでは曇っていて雨が降っているようでした。

黒ボコ岩

 黒ボコ岩は、1554〜1556年の白山噴火の際、火砕流によって運ばれてきた火山弾です。白山は1659年の噴火を最後に、現在まで約340年間目立った活動を休止しています。しかし、歴史記録から判断すると火山活動が活発化する時期に入ってきているうえ、1999年には低周波地震がはじめて観測されるなど、現在も充分な警戒を必要としています。


 休憩の後、弥陀ヶ原を通って最後の難関である五葉坂に入りました。五葉坂はわずか300mほどの坂ですが、急峻で周囲もハイマツにおおわれ、疲れた体にはなかなか大変でした。しかしハイマツの間にある白山シャクナゲの花と、振り返ると見える雲海と雪渓の美しい景色に励まされ、18時15分、室堂に到着しました。

 室堂センターでの夕食の後、室堂周辺で自然解説員の谷野さんによる自然解説があり、そのあとはみんなで夕日を見に行きました。この日はよく晴れており、日が沈んだあとは素晴らしい星空が見えました。


室堂到着 室堂周辺での自然観察 夕日





 翌朝(7月31日・木曜日)は4時に起床して、御前峰山頂の白山比盗_社奥宮を目指しました。
 4時50分頃御来光が登り、登山者から万歳と拍手がおこりました。

御来光

 室堂までは山頂のお池めぐりコースを歩きました。
 1042年の水蒸気爆発によってきた火口湖であると考えられている翠ヶ池を過ぎると、巨岩が点在する岩場にでました。

山頂付近の様子

 これらの岩は1554年の噴火の際に流れた火砕流の堆積物で、黒ボコ岩もこの時の噴火によるものです。岩の間には10cmにも満たない小さな木や、汚れのようしか見えない苔が生えており、これらは1年に数oしか成長しない事などを自然解説員の方に聞きました。
 また付近は植物の生えていないガレ地も多く、白山が崩れやすい山であることをものがたっているようでした。


翠ヶ池 血ノ池 千蛇ヶ池

 朝食の後、8時30分に室堂を出発しました。下山にはお花畑が有名なエコーラインを通りました。

 エコーラインは弥陀ヶ原の湿性植物草原と、低木やチシマザサ、高山植物などの斜面をジグザグに走っています。
 そのため、近道をして歩く登山者に踏まれたり、雨水が登山道を流れて地面を浸食するなどして植物が枯れ、裸地化が進んでいました。しかし近年は木道を設置したり、坂道の登山道に木の土止めを入れて水の流れによる浸食を防ぐ工事がなされ、荒廃が進まないように整備されていました。

弥陀ヶ原のエコーラインの様子

万才谷雪渓

 エコーラインからは手取川の源流の万才谷を見ることができました。
 万才谷のはじめは「万才谷雪渓」と呼ばれる雪渓で、まだたくさんの雪が残っていました。万才谷から柳谷へと続く谷筋は、所々に崩壊したところや崩壊跡に草が生えて草原になっているところ、オオシラビソやダケカンバの林になっているところがあり、白山の植生が崩れを中心に回転しているのだというのがよくわかりました。


 10時頃、南竜道に到着しました。この登山道は地すべりが起きている甚之助谷の上部を横切っており、数十年前のこの辺りを知る人は地すべりや斜面崩壊で登山道から見える風景が年々変化しているとおっしゃっていました。

南竜ヶ馬場

 南竜道の脇は切り立った崖になっており、下を覗くと霧の隙間から崩壊著しい甚之助谷の様子が見えました。昭和初期に施工されたという石積みの砂防堰堤が一部破壊されながらも今も土砂を捉えているのがわかりました。

 また、南竜道の途中にはこれも昭和初期に施工された空石積みの土留工がありました。コンクリートなどを使っていないのに、草木に埋もれながらもしっかりとその姿を留めており、当時の人々が素晴らしい技術を持っていたことがうかがえました。


エコーライン脇の雪渓 南竜水平道 金沢河川国道事務所からの解説

柳谷砂防堰堤群

 南竜道から砂防新道に入り、昨日登ってきた道を今度は逆に降りていきました。

 金沢河川国道事務所から、甚之助谷や柳谷で行われている工事の目的と無人化施工について解説があり、秋に見学した時には見られなかった施工中の砂防工事現場を見ることができました。巨大な砂防堰堤に圧倒されると同時に、この堰堤がこれから上部にある地すべり土塊を支え、下流域を災害から守っているのだということ、白山は豊かな自然だけでなく、災害の危険もはらんでいるのだということを、もっとたくさんの人に伝えなくてはならないと切に感じました。


 1時45分、ようやく別当出合に到着しました。
 皆へとへとになっていましたが、白山砂防女性特派員メンバーは全員無事に登山を終えることができました。

 昼食後バスで白峰まで降り、入浴して着替えた後意見交換会と9月25,26日にある白山地すべりフォーラムの打ち合わせがありました。
 意見交換会では、実際に白山に登ってみての感想、その上での白山砂防に対しての意見、今後の広報活動など、登山後で疲れているにもかかわらず活発な意見が相次ぎました。地すべりフォーラムについては、総合司会を白山砂防女性特派員メンバーで行うこと、フォーラムでの活動内容発表をグループ毎に行うことなどが決定しました。



 天候にも恵まれ、特派員同士の結束も高まり、最高の登山ができました。
 この登山で学んだことを、今後の活動で活かすだけでなく、いろいろな人達に伝えていきたいとおもいました。





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